デジタル大辞泉
「字」の意味・読み・例文・類語
あざ‐な【▽字】
1 昔、中国で成人男子が実名以外につけた名。日本でも学者・文人がこれをまねて用いた。諸葛亮の孔明、菅原道真の菅三など。
2 実名以外に、呼びならわされた名。あだな。
3 町・村の小区画。あざ。
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じ【字】
- [ 1 ] 〘 名詞 〙
- ① 言語を視覚的にしるし留めるために用いる記号。かな、漢字、梵字(ぼんじ)、ローマ字、ハングルなどの類。また、「字余り」などのように、かなで表わされる音の数、音節をいうこともある。文字。もじ。
- [初出の実例]「書以二仁義礼智信五字一、随二其字一而賜レ物」(出典:続日本紀‐天平二年(730)正月辛丑)
- 「こぞの経と見合するにかれにはなき字一あり」(出典:観智院本三宝絵(984)中)
- [その他の文献]〔説文‐序〕
- ② 特に、字音で読まれるものとしての漢字をいう。
- [初出の実例]「都傾くと書きたる字(ジ)の声を傾城(けいせい)といふなり」(出典:仮名草子・浮世物語(1665頃)一)
- ③ 書かれたことば。ことばの書かれた形。
- [初出の実例]「韻字 物の名と詞の字と是を嫌ふべからず」(出典:連理秘抄(1349))
- ④ 筆跡。手跡。
- [初出の実例]「Iiuaqega(ジワケガ) ミエヌ〈訳〉この文字が読めない」(出典:日葡辞書(1603‐04))
- ⑤ 銭を紅白の紙に包み、楊弓、双六などの賭に用いるもの。→地(じ)[ 四 ]。
- [初出の実例]「これは楊弓・双六の、勝負にかくるおあしならんとありければ、司の前聞き給ひ、いやいや字(ジ)にて候はず」(出典:浄瑠璃・松風村雨束帯鑑(1707頃)四)
- ⑥ 銭(ぜに)をいう。銭の表面に文字が四つあるので、その四分の一、すなわち二分五厘の称。また、字を文と同一とみて、銭一文の称。→地(じ)[ 四 ]。
- [初出の実例]「如何様共仕送って、一銭・一じ損かけまじ」(出典:浄瑠璃・冥途の飛脚(1711頃)上)
- ⑦ 薬の量目で一匁の称。
- [初出の実例]「臙脂一字」(出典:医案類語(1774)一〇)
- ⑧ ( 人名の一字に「の字」を付けた形で用いて ) 人の名前をあらわに言わないで示すのに用いる語。
- [初出の実例]「しかしおゐらアもふ幸さんの時にゃア、ノウまのじ(政次のことなり)」(出典:人情本・春色梅児誉美(1832‐33)初)
- ⑨ 紋所の名。①を紋様に象ったもの。丸に一の字、丸に十の字、小の字菱、丸に利の字などがある。
丸に一の字@小の字菱@丸に十の字@丸に利の字
- [ 2 ] 〘 接尾語 〙
- ① 人を数えるのに用いる。
- [初出の実例]「官員免職之節、是迄名代十二字召出にて御達相成候処、自今十字召出にて当人へ御達相成候事、但有罪免職の輩は、名代二字召出御達相成候事」(出典:布告第八五五‐明治三年(1870)一一月二二日)
- ② ⇒じ(時)[ 二 ]②
あざ‐な【字】
- 〘 名詞 〙
- ①
- (イ) 中国で、男子が元服の時につけて、それ以後通用させた別名。通常、実名と何らかの関係のある文字が選ばれる。実名を知られるのを忌んだ原始信仰に基づき、実名を呼ぶのを不敬と考えるようになったところからの風習。
- [初出の実例]「字(阿佐奈)」(出典:法華義疏紙背和訓(928頃か))
- [その他の文献]〔礼記‐曲礼・上〕
- (ロ) 日本で、中国の風習にならって文人、学者などがつけた、実名以外の名。
- [初出の実例]「計天皇の諱(たたのみな)は大脚。〈略〉字(みアサナ)は嶋郎」(出典:日本書紀(720)仁賢即位前(北野本訓))
- 「あざなつくることはひむかしのゐんにてし給ふ」(出典:源氏物語(1001‐14頃)乙女)
- ② 実名のほかに人々が呼びならわしている別名。また、その名を言うこと。通称。あだな。
- [初出の実例]「一つの寺有り。号けて金鷲と曰ふ。金鷲優婆塞、斯の山寺に住するが故に、以て字とす」(出典:日本霊異記(810‐824)中)
- 「名は不知(しらず)、字をば佐太とぞ云ける」(出典:今昔物語集(1120頃か)二四)
- ③ 幼名。〔日葡辞書(1603‐04)〕
- ④ 同じ物を別のことばでいったもの。
- [初出の実例]「言二佐夫流一者遊行女婦之字也」(出典:万葉集(8C後)一八・四一〇六・左注)
- ⑤ 町村内の小区画の単位の名。あざ。
- [初出の実例]「あざなといふ物の事〈略〉其外にも田地の字、何の字くれの字などいふも、皆正しく定まれる名としもなくて、よびならへるをいへり」(出典:随筆・玉勝間(1795‐1812)二)
字の語誌
( 1 )本居宣長の「随筆・玉勝間‐二」に「古へより、正しき名の外によぶ名を、字(アザナ)といへること多し、中むかしには、今のいはゆる俗名をも、字といへることあり」とあり、これが近世の認識であった。平安貴族の「あざな」は儀礼的なもので、鎌倉時代には自然消滅し、公家社会での風習が途絶えた頃、僧侶が「あざな」を称するようになった。ついで江戸時代には、儒者・文人の間に広まったが、総じて尊称的なものと考えられていたようである。
( 2 )院政期には、「異名」と「あざな」とは使い分けが存し、「異名」は、身体・性行などの特異な点に基づく命名であり、使用が被呼称者の属する社会層に限られ、当人にとって心情を損なうマイナスの評価を伴うもので、現在の渾名(あだな)に相当するものであった。一方、「あざな」は、命名の由縁や使用者に関係なく、被呼称者に直接呼びかけられるプラスの評価を伴うものであった。
あざ【字】
- 〘 名詞 〙
- ① 近世、土地の小名。明治時代市町村合併以降は近世の村を大字、それ以下の小名を小字と呼ぶようになった。普通は小字を単に字という。あざな。〔地方凡例録(1794)〕
- ② 家々のかたまり。小さな集落。
- [初出の実例]「道の傍らには小さな字(アザ)があって」(出典:闇の絵巻(1930)〈梶井基次郎〉)
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普及版 字通
「字」の読み・字形・画数・意味
字
常用漢字 6画
[字音] ジ
[字訓] やしなう・あざな・もじ
[説文解字]
[金文]
[字形] 会意
宀(べん)+子。宀は家。家に子の出生を報告する儀礼で、これによって養育・字養のことを定める。またそのとき字(あざな)(幼名)をつける。いわゆる小字である。〔説文〕十四下に「するなり」と字乳、すなわちはらみ、育てる意とするが、生子儀礼とみるべき字である。〔礼記、冠義〕に「已に冠して之れに字(あざな)す」、また〔公羊伝、僖九年〕「字して之れに(けい)す」とは、男女成年のときの礼で、男子はこのとき、名字対待の名をつける。「曾參(驂)、字は子輿(しよ)」、「孟軻、字は子輿」は、いずれも車馬による対待の字である。女子の字には、金文に多母・客母・良女のようにいうものがそれであろう。
[訓義]
1. やしなう、見の礼によって養育のことが定まる。
2. あざな、見の際に、あざなをつける。
3. と通じ、はらむ。
4. 慈と通じ、いつくしむ。
5. あざなをつけることから、文字の意となる。文は文身で、やはり、もと通過儀礼の一である。
[古辞書の訓]
〔名義抄〕字 ナ・ナヅク・アザナ・ヤシナフ・ウツクシム 〔字鏡集〕字 ナ・ウツクシム・アザナ・ナヅク・サネ・ヤシナフ・ウツクシブ・ウツクシム
[語系]
字dziと子・・(滋)tziは声義が近く、〔説文〕には字を子の亦声とする。字を字乳の義に用いることも多いが、通用の義とみるべく、その本義は生子儀礼としての見の礼をいう。は尾のように用い、字乳とはそのことをいう。おおむね滋益・滋多の意がある語である。
[熟語]
字愛▶・字育▶・字印▶・字音▶・字画▶・字格▶・字学▶・字眼▶・字義▶・字脚▶・字拠▶・字句▶・字訓▶・字形▶・字源▶・字指▶・字習▶・字数▶・字勢▶・字跡▶・字体▶・字典▶・字突▶・字乳▶・字馬▶・字▶・字輩▶・字尾▶・字墨▶・字民▶・字▶・字孕▶・字様▶・字養▶・字例▶
[下接語]
異字・永字・衍字・押字・仮字・譌字・楷字・解字・活字・冠字・漢字・雁字・奇字・虚字・金字・錦字・字・欠字・検字・古字・誤字・好字・号字・合字・刻字・国字・細字・作字・視字・識字・習字・集字・書字・署字・女字・助字・小字・称字・帖字・植字・真字・新字・正字・成字・制字・姓字・善字・草字・字・造字・俗字・大字・題字・拆字・脱字・著字・定字・摘字・篆字・蠹字・難字・破字・配字・肥字・布字・壁字・別字・鳳字・没字・本字・梵字・名字・妙字・苗字・銘字・字・文字・隷字・連字・倭字
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字 (あざ)
行政区画の単位で,大字と小字とがあり,ふつう,字というのは小字である。元来は狭い範囲の土地の名であった。古代における〈あざ〉の意義は定かではない。《和名抄》では〈くろ(畔)〉のことを〈あぜ〉と読む例も見える。〈あぜ〉はかつて〈あ〉ともいわれているから,〈あぜ〉という語が出現する以前に〈あざ〉という言葉があったであろうという想像も成り立つ。したがって,〈あ〉を〈せ(塞)く〉ということから小区画の土地を意味するという説もある。いわゆる字名そのものの由来はさまざまであり,研究課題も多い。《続日本紀》和銅6年(713)5月の条に,畿内七道諸国の郡郷名には好字で命名させるとあり,《延喜式》では諸国の郡里等の名称には必ず2字の嘉名を用いるように規定している。現存する郡村名などの行政地名の7割以上は2字で,しかも佳字を用いている。しかし小字名は必ずしも2字が多いとはいえない。例えば,宮城県の二,三の郡部の小字名についてみれば,2字の小字名は全体の4割程度である。つぎに《地方凡例録》の〈字之事〉によると,〈是は田畑其外山林野地等にても,地所の小名(こな)を字(あざな)と云,口上にては名所(などころ)とも,小名とも,下(さ)げ名とも申せども,帳面証文等に認るには字と書ことなり〉と記されている。また《玉勝間》に〈あざ名といふ物の事,其の外にも田地の字,何の字くれの字などいふも,皆正しく定まれる名としもなくて,よびならへるをいへり〉とある。字名は平安時代以降の文書に現れる。例えば〈西大寺田園目録〉(1298)によると,条里(坊)地割内の坪付内の1~3反区画の耕地に字名と地目が記入されている。しかし,字区画の範囲についての明確な規定は不詳である。《拾芥圃記》によると,〈古記に田にも畑にも一坪々々に一下名(さげな)(字)宛付たるものあり,又十坪にも十四,十五坪にも一下名あるも有(略)〉とあって,一定ではない。このことは今日においても同様であって,字の範囲は面積だけでなく,筆数においても規定はない。制度的意義をもって土地一筆ごとに字名が記入されるようになったのは太閤検地以降である。字付帳も作成され,検地帳や名寄帳にも耕地・宅地地割一筆ごとに字名が記入された。
明治に入り,《地租改正要略》によると,〈字〉は〈あざ〉と訓み,その名称はあたかも町村名のごとく行政地名として各種書類に正式に用いられた。町村内の地理上の一区画を有し,その区画も名称も古くからの慣例として通用してきたものが多い。特に地租改正に当たり,字区という小区画を明確にしなければ,丈量にも帳簿整備にも諸般取扱上はなはだ不便であるから,地租改正を契機に字区も字名も再確認されることがあり,字一筆限地図帳やその後地籍図や土地台帳にも字名と各筆の地番が記入された。地租改正においては,字区が一つの丈量範囲(丈量基礎単位区)になっている場合が多い。これは字区というものが慣習的にある基礎地域,また自然的条件,特に地形的環境において統一体的範囲を有する場合が多いからである。字区とその面積を明確にすることが地租改正の基礎的作業の一つでもあった。1876年(明治9)の内務省議定の〈地所名称区別細目〉には,〈字ト称スルモノハ町村中ノ区分ニシ数十百筆ノ地ヲ轄スルモノナリ〉という。このように〈字〉の定義は内務省が規定しているが,地租と関係が深いので,実務的面は大蔵省が主管している。
1878年の郡区町村編制法で幕藩体制以来の村が例外的に大字となったが,88年の市制・町村制施行により,行政名は制度化され改変された。この際の町村合併により,近世の藩政時代における村はおおむね大字となり,旧来の集落内の小区画の地区はだいたい小字区となり,その呼称は従前からの通称,俗称が存続して小字名となった。大字,小字は存在するが,中字は分類化されていない。しかし播磨などの若干の旧村には中字に相当するものがないではない。そして一般には,小字を単に字という。制度的には大字,字とあって,その中間の行政名はないが,通称としての地名が存在することはあり,氏子集団の区域が通称名として持続される地区もある。81年9月の第83号公達の趣旨によると,容易に字名を変更すべきではないが,1911年の内務省訓令によると,市町村内の大字および市内町名の改称やその区画の変更を要する場合は,市町村会がそれを議決し,府県知事の許可を受けなければならないと規定され,行政的には正式に制度化されたのである。
小字は自然的にも人文的にも,またその両者を考慮し総合化して区画,命名しており,近世以降は行政区の単位区画として現代にまで持続されている。それが44年3月の内務省発地第25号により,市町村内の町または大字,小字の名称は古来からの由来があり,土地争訟の審判,歴史の考証,地誌の編纂には重要な要因となるので,その名称と区域の変更は特別の事由による以外は処理しないように留意すべき旨を再度規定した。さらに47年の地方自治法により,政令で特別に規定する以外,市町村内の町もしくは字の区域と名称の変更は首長が議会の議決を経て,都道府県知事に届け出なければならなくなった。したがって,現在の大字でもなお行政自治的統一体を構成するものもあれば,また大字のなかに村落共同体的な小村が二,三集合している場合もある。現在の大字の多くは近世の郷村名=藩政村であるが,明治に入ってから合併したり,分村したりしている場合が多いので必ずしも大字=藩政村であったとはいえない。大字は小字の集合体であって,それ以上のものではないという説もあり,また小字は基礎地域の単位体として論定しえないし,中世後期の惣のような村落共同体的な区域と符号するともいえない場合が多い。近世村落は検地によって,土地所有権を領主によって占有され,公式の村民の集合的紐帯を禁止されていた地域集団であったが,山地や水利についての日常的権利は強固に維持していたから,このようなムラが今日の大字として継承されている場合が多いので,現在もなお大字によっては,その地域社会に山地占有や水利権などの主体性を保持しているものもある。なお今日小字のなかに生活単位的基礎地域としての組織を見いだそうとすると,その実例はきわめて少ないといわなければならない。
執筆者:山田 安彦
字 (あざな)
zì
中国において,成人あるいは許嫁ののち,実名のほかにつける別名。実名を忌む風習より生じた。いつから始まったかは明らかではないが,周初に行われていたとするのが通説で,《礼記(らいき)》《儀礼(ぎらい)》に規定がみえる。漢,六朝では小字(おさなな)が流行した。今日でも字で呼びならわす風が残っている。日本では,明治初年まで使われた。たとえば西郷隆盛の書状では,目上の者に対するとき以外はすべて字の吉之助が用いられている。しかし,古くは字は1字で,姓に付けて称することもあった。
→諱(いみな) →諡(おくりな)
執筆者:勝村 哲也
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字(あざな)
あざな
男子が元服してつける名。中国に始まる風習で、20歳になって名のるのが本来であるが、わが国では、元服する年齢が一定しないので、字を名のる時期も一定しない。生まれたとき親がつける本名に対し、字は本人の好みや、目上の者が本人の徳などを考慮したりなどしてつけられ、字ができると本名はあまり使われない。このため、本名は諱(いみな)ともいう。普通、長上の者に対しては自分を本名でいい、同輩以下の者には字を使う。他人をよぶときにも字を使うが、とくに目下の者に対する場合や、親や師がその子や弟子をよぶ場合には本名を用いる。『論語』に、孔子が弟子の顔淵(がんえん)を回(かい)、子貢(しこう)を賜(し)とよんだのはこの例である。また、孔子は本名を丘(きゅう)、字を仲尼(ちゅうじ)というが、「仲」は弟の意で、孔子に兄があったからこのようにいい、「尼」は、孔子が尼山(にざん)の神の申し子であったことによるものと考えられる。日本でも、これらに倣って、漢学を学ぶ者が字を好んでつけた。初めは一字で、菅原道真(すがわらのみちざね)の菅三、三善清行(みよしきよゆき)の三耀、氷宿禰継麻呂(ひのすくねつぐまろ)の宿栄などのように、姓氏や姓(かばね)を配したが、江戸時代になると、新井白石(名は君美(きんみ))の在中、貝原益軒(名は篤信)の子誠のように変わっていった。このほか、人々が呼び習わしている別名や通称も字ということがあるがこれは本来あだ名(渾名、綽名)であって、字とは別物である。また町村内の小区画の単位として用いられる字(あざ)は近世からのものを1888年(明治21)制度化したものである。
[田所義行]
字(行政区画)
あざ
行政区画上の単位名。「あざな」ともいう。大字、小字に分けられ、小字がいくつかあわさって大字をなす。1888年(明治21)の町村制は、それまでの村を大字とし、それをいくつか合併して町村とした。小字は一般に地域が狭く、構成する戸数も少なく、冠婚葬祭などの社会生活上の相互扶助、また協同労働などの基底組織(組、組合)をなすものが多い。なお、近世の検地は大字(村)ごとに行われ、検地帳もまた大字ごとに、かつ地目別(田、畑、屋敷、林=林畑など)に記されているが、それらの各筆は所在の小字別にまとめて配列されている。
[浅香幸雄]
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字
あざな
男子が元服したのち,実名(じつみょう)以外につける別名・通称。本来は中国でおこった風習。実名を知られるのを忌み嫌うという思想にもとづいて,実名をよぶことを不敬と考え,一般には字を通用させるようになった。その際,実名となんらかの関連のある文字が字として選ばれた。また,目上の人に対して字を用いることはせず,公文書に署名する際も実名を記すものとされていた。この風は日本の律令官人層にまず導入され,日本では苗字の1字と連称することが流行した。しかし日本の律令官人の字は中国のそれとは違い,儀礼的で生活に密着しなかったため,平安末~鎌倉時代には廃れた。それと入れ替わるように,禅僧の間で法名の上に2字の字を連称する風が導入された。近世に入ると,儒者や文人の間で字を用いる風が広まった。
字
あざ
名所(などころ)・小名(こな)・下げ名とも。市町村内の行政区分。大字と小字とがある。複数の大字によって町村が構成され,大字はいくつかの小字からなる。小字は土地区画以上の意味をもたないが,大字は共同体としての側面をあわせもっている。字付帳に記載され,近世には行政単位として使用された。明治期以降,三新法や町村制の整備とともに江戸時代の村が大字となるなど,地方制度として確立した。現在も市町村の最小行政単位として位置づけられている。名称は山林や田畑など自然発生的なものや,寺院名に由来するものなどがある。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
字【あざな】
本名以外に用いる別名。中国では《礼記(らいき)》に〈男子二十冠而字〉とあり,成人あるいは許嫁ののち用いられた。日本では明治初年まで中国にならって字が用いられた。目上の人に対した場合は自分の本名を名のり,他には字を称する。→諡(おくりな)
→関連項目人名
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字
あざ
市町村内を小区分した地名表示で,大字と小字がある。もともと字は同一時期に開発された田畑などの一まとまりをさす呼び名であったが,江戸時代に検地帳に登録されて固定化し,さらに明治初年の地租改正に際して再編整理され,現在の土地台帳記載のものになった。この字をしばしば小字というのは,より大きな大字が出現したためである。大字は 1888年の市町村制の施行に先立つ大幅な町村合併で,合併以前の町村名が地籍表示として残されたものである。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の字の言及
【六書】より
…漢字の構成ならびに使用に関する6原則。《周礼(しゆらい)》《漢書》芸文志,《説文解字》等にその名が見える。…
【地名】より
…江戸時代には国学の発達とほぼ軌を一にして,地名研究は顕著な進歩をみせた。契沖,賀茂真淵,新井白石らも《和名抄》の地名に関心を示し,特に本居宣長の《地名字音転用例》(1800),内山真竜の《国号考》(1796),《地名考》(1803),伴信友の《倭名類聚鈔郷名集覧》(1811稿)などが注目される。地方的には津田正生の《尾張地名考》(1816),吉沢好謙の《信濃地名考》(1770)などがみられ,また数多くの地誌類が出た。…
【綽名(渾名)】より
…親愛の情をあらわしたものや嘲笑(ちようしよう)の意を含んだものがある。〈あだ〉は〈他〉の意味で,徒名(あだな)(仇名)とは違い,[字](あざな)と歴史的に結びつく側面があり,むしろ,字があだ名となってきたといえる。字は実名のほかに原則として自称する名前で,名(実名)は君・父に対してのものであり,他人に向かっては字をいうのである。…
【氏姓制度】より
…しかし,このときにおいても,まだ無姓のもの,族姓のものが解消されず,現存する大宝2年籍にも,氏姓を記入できないもの,国造族,県主族などと記されたものがかなりある。757年(天平宝字1),戸籍に,無姓と族姓を記することをやめるとした。これは地方豪族の配下の農民には,所属が定まらず無姓のままのもの,また国造,県主の共同体に属することを示すことによって族姓を仮称させたものがあり,また新しい帰化人にも,姓をあたええないものがあったことを示し,これ以後,そのようなものに正式の氏姓をあたえることとしたのである。…
【人名】より
…人名には,個人の所属を明らかにするため氏族,家族,父親,居住地などの名が添加されるといったことがあり,また世界の各民族や地域によって,その社会・文化のあり方とかかわる多様性もみられるので,世界数地域における人名について説明する。
【日本】
日本人の場合は,姓(苗字(みようじ))を冠し名(個人名)を付けてその人名とするので,〈姓名〉と呼ばれる。それは長い歴史を経て今日に至っているが,その著しい特色は,世界に類をみない複雑多様性である。…
【名付親】より
…このように名付親の制は有力氏族の他氏抱込み策といった政治的意味でとらえることもできる。しかし室町時代以後はしだいに形式化して,烏帽子親は名の1字を子に授与するにとどまり,主従間の名字拝領の儀礼的関係と変わっていく。なお農家や商家でも名付親の慣行は広範にかつ長期にわたり実施されている。…
※「字」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」