中国、前漢、景帝の時代の紀元前154年、呉王濞(び)を謀主とし、楚王戊(ぼう)、膠(こう)西王卬(こう)、膠東王熊渠(ゆうきょ)、菑川(しせん)王賢(けん)、済南王辟光(へきこう)、趙(ちょう)王遂(すい)ら劉(りゅう)氏の宗族(そうぞく)が中央政府に対して起こした反乱。漢初に郡国制が採用され、劉氏宗族と功臣が封国されたが、異姓の功臣諸侯は高祖劉邦の在世中にほとんどとりつぶされた。第5代の文帝代には、残った劉氏の諸侯勢力が強大となり、中央集権策をとる政府にとって障害となってきた。第6代の景帝代になって、法家思想をもつ鼂錯(ちょうそ)が用いられ、分権的な諸侯を統制した。王国の削弱策として「推恩(すいおん)の令」を立案、実行に移した。この政策実施中の前155年、楚王、趙王の有する領土のうち各1郡と膠西王のもつ6県が削られ、呉王もまた2郡を削る通知を受けた。諸王はこの措置を不服として反乱を決意した。中央政府は反乱開始の報に接し、周亜夫、欒布(らんふ)、竇嬰(とうえい)ら有力な将軍を派して鎮圧に努めたが、諸王の力は侮りがたく、ために政府は鼂錯を責任者として処刑し、諸王の慰撫(いぶ)に努めたが成果はなかった。戦術にたけていた周亜夫が呉王を破るに及んで、漢朝の優位が決まった。この乱を契機に郡県制が発展していく。
[好並隆司]
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前漢の景帝のとき(前154年)の内乱。漢朝は郡国制にのっとり,一族の子孫を各地に封じて王侯としたが,諸王の勢力は強大で,景帝のとき王国は16国を数え,特に広大な領土を有する呉,楚,斉は中央に反抗的であった。その抑圧に苦心した漢朝は前154年諸王の領土を削った。これに対して呉王濞(び)は楚,趙(ちょう),膠西(こうせい),膠東,菑川(しせん),済南の6王とともに兵を起こした。官軍は呉と楚の糧道を遮断し,反乱は3カ月で鎮定された。この結果,諸王侯の領土は細分され勢力は弱体化し,中央政府の統制力はより強化された。
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…万事に慎重な文帝は対決を回避したが,景帝は鼂錯の建議を採用して諸王の領地を削る方針を定めると,呉王劉濞(りゆうび)ら7ヵ国の王は連合して漢に反旗をひるがえした。前154年の呉楚七国の乱である。この乱は諸王の周到なる準備にもかかわらず,政府軍によって3ヵ月で平定された。…
※「呉楚七国の乱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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