中国,漢の政治家。晁錯とも書く。潁川(えいせん)(河南省禹県)の人。初め刑名の学を張恢(ちようかい)先生に学び,文帝のとき,古典に通暁するをもって太常の配下の掌故(有職故実係)となった。このころ済南の儒者伏生について《尚書》を学び,ついで太子(のちの景帝)の世話係に任じられたが,その巧みな弁舌から〈智囊(ちのう)〉(知恵袋)とあだ名されたという。彼は文帝に対して,匈奴対策として屯田の制をしくべきこと,また諸侯国の領地を削り中央集権をはかるべきことなどを盛んに上書したが,採用されなかった。しかし景帝が即位すると,内史(京師の長官)に抜擢され,その意見はことごとく採用されるにいたった。やがて御史大夫(副宰相)となるや罪を犯した諸侯の領地没収を帝に進言して実行にうつしたため,これに反発した呉,楚など七国は,鼂錯を討つことを口実に一斉に反乱を起こした(前154)。事態を憂慮した景帝は,竇嬰(とうえい),袁盎(えんおう)らの言にしたがい,公用と偽って鼂錯を呼び出し,長安の東の市場で彼を斬殺した。
執筆者:永田 英正
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
中国、前漢の政治家。晁錯とも書く。潁川(えいせん)郡(河南省)の人。刑名(けいめい)の学(法家思想)を修め、国家の祭祀(さいし)をつかさどる太常(たいじょう)の属吏となり、文帝に抜擢(ばってき)されて太子家令となった。当時から「知恵袋」と称され、辺境の防備、移民政策などの重要な政策を文帝に建白した。直接仕えていた太子が景帝として即位してその側近となり、やがて御史大夫(三公の1人)に登って皇帝権の確立のために活躍した。しかし袁盎(えんおう)らの諸大臣と対立し、諸侯王の勢力をそごうとする彼の政策は、諸王の反乱(呉楚(ごそ)七国の乱)を招き、一時の懐柔策として、一家もろとも長安の東市で処刑された。
[尾形 勇]
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