鼂錯(読み)ちょうそ(英語表記)Cháo Cuò

精選版 日本国語大辞典 「鼂錯」の意味・読み・例文・類語

ちょう‐そ テウ‥【鼂錯】

中国前漢政治家晁錯とも。潁川(河内省禹県)の人。文帝景帝に仕え、景帝のとき、御史大夫となった。中央集権制の確立をめざしたが、諸侯の封土削減策がもと呉楚七国の乱を招き、袁盎(えんおう)らの意見によって斬殺された。前一五四年没。

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デジタル大辞泉 「鼂錯」の意味・読み・例文・類語

ちょう‐そ〔テウ‐〕【鼂錯】

[?~前154]中国、前漢の政治家。穎川えいせん郡(河南省)の人。景帝の時、御史大夫。中央集権制確立のため、諸侯の土地を削らせたことから、呉楚七国の乱を招いて処刑された。

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改訂新版 世界大百科事典 「鼂錯」の意味・わかりやすい解説

鼂錯 (ちょうそ)
Cháo Cuò
生没年:?-前154

中国,漢の政治家。晁錯とも書く。潁川(えいせん)(河南省禹県)の人。初め刑名の学を張恢(ちようかい)先生に学び,文帝のとき,古典に通暁するをもって太常の配下掌故(有職故実係)となった。このころ済南の儒者伏生について《尚書》を学び,ついで太子(のちの景帝)の世話係に任じられたが,その巧みな弁舌から〈智囊(ちのう)〉(知恵袋)とあだ名されたという。彼は文帝に対して,匈奴対策として屯田の制をしくべきこと,また諸侯国の領地を削り中央集権をはかるべきことなどを盛んに上書したが,採用されなかった。しかし景帝が即位すると,内史(京師の長官)に抜擢され,その意見はことごとく採用されるにいたった。やがて御史大夫(副宰相)となるや罪を犯した諸侯の領地没収を帝に進言して実行にうつしたため,これに反発した呉,楚など七国は,鼂錯を討つことを口実に一斉に反乱を起こした(前154)。事態を憂慮した景帝は,竇嬰(とうえい),袁盎(えんおう)らの言にしたがい,公用と偽って鼂錯を呼び出し,長安の東の市場で彼を斬殺した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「鼂錯」の意味・わかりやすい解説

鼂錯
ちょうそ
(?―前154)

中国、前漢の政治家。晁錯とも書く。潁川(えいせん)郡(河南省)の人。刑名(けいめい)の学(法家思想)を修め、国家の祭祀(さいし)をつかさどる太常(たいじょう)の属吏となり、文帝に抜擢(ばってき)されて太子家令となった。当時から「知恵袋」と称され、辺境の防備、移民政策などの重要な政策を文帝に建白した。直接仕えていた太子が景帝として即位してその側近となり、やがて御史大夫(三公の1人)に登って皇帝権の確立のために活躍した。しかし袁盎(えんおう)らの諸大臣と対立し、諸侯王の勢力をそごうとする彼の政策は、諸王の反乱(呉楚(ごそ)七国の乱)を招き、一時の懐柔策として、一家もろとも長安の東市で処刑された。

[尾形 勇]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鼂錯」の意味・わかりやすい解説

鼂錯
ちょうそ
Chao Cuo; Ch`ao-Ts`o

[生]?
[没]前元3 (前154).1.
中国,前漢(→)初期の政治家。潁川(えいせん。河南省禹県)の人。初め法家の学を学び,次いで斉の儒者伏生について尚書(→書経)を学び,太子舎人となり,やがて中大夫となった。文帝のとき,しばしば上書して匈奴対策,諸侯抑制策,法令の改定などを建議した。景帝が即位し,御史大夫に任じられると大いに権力をふるい,諸侯王領地の削減をはかった。そのため,呉楚七国は前元3(前154)年,鼂錯誅伐のために挙兵した(→呉楚七国の乱)。鼂錯はその責任を問われて 1月長安の東市で斬られた。

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