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郡県制 ぐんけんせいJun-xian-zhi; Chün-hsien-chih

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

郡県制
ぐんけんせい
Jun-xian-zhi; Chün-hsien-chih

中国の地方統治制度。秦は始皇帝 26 (前 221) 年に全国を統一すると,これを 36郡に分け,郡をいくつかの県に分けて,郡には守 (民事) ,尉 (軍事) ,監 (監察) ,県には令 (民事) ,尉 (軍事) ,丞 (監察) をそれぞれ中央から派遣して統治させた。

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デジタル大辞泉の解説

ぐんけん‐せい【郡県制】

中国で、戦国時代から代に施行された、中央集権的な地方行政制度。全国を皇帝の直轄地として郡・県に分け、皇帝の任命する地方官を派遣して統治させたもの。→封建制

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百科事典マイペディアの解説

郡県制【ぐんけんせい】

中国,秦の始皇帝が完成した中央集権地方行政制度で,周の封建制(封建制度)に対する。戦国時代から封建制が衰え,郡県化しつつあったが,始皇帝の全国統一完成により,全国を36郡(のち48郡)に分け,行政・軍事・監察を行う守・尉・監を中央より派遣し,郡の下の県にも令・尉・丞をつかわし統治させた。
→関連項目春秋戦国時代中華人民共和国李斯

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世界大百科事典 第2版の解説

ぐんけんせい【郡県制 Jùn xiàn zhì】

中国の地方行政区画制度。厳密には秦から唐初まで郡県制が実施され,それ以後は州県制に代わるが,ここでは一つに取り扱う。郡県は周代の封建に対する語。周では王族,功臣らに土地が分封,世襲されたが,前221年,秦の始皇帝は国土をすべて皇帝直轄地とし,中央から官員を任命して統治する郡県制に改めた。起源的には県は秦の武公の10年(前688)に,〈冀の戎(じゆう)を伐(う)って初めてこれを県にする〉と《史記》に見えるのが最も古い。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

郡県制
ぐんけんせい

中国、周の封建制が崩壊するなかで、春秋期以降に現れ、秦(しん)朝に確立した行政制度。『史記』秦本紀にみえる武公10年(前688)の記録が初見であるが、その後は『春秋左氏伝』などにも頻出する。最初は辺境地方に郡や県が顕著に現れるが、しだいに中原(ちゅうげん)諸国にも県設置がなされる。春秋の県は後の郡県制のそれとは違って、周代封建制の封邑(ほうゆう)と本質的には変わらない。郡県制の県は、秦の孝公が商鞅(しょうおう)を登用して、41県を咸陽(かんよう)を中心とする地方に配置したのが始まりと考えてよい。郡については、秦国では他国を併合したときその領域を郡と称している場合が多く、そののちに県を置くようになる。したがって最初から郡県が上下の統属関係として設けられたわけではない。整備されたのは秦の始皇帝の時代である。
 商鞅の県制の内容をみると、彼は、君主が直接人民を支配できる場として県を想定していたことがわかる。「小都、郷邑、聚(しゅう)を集めて」県とした(『史記』「商君列伝」)というように大族を分解し、おもに開拓地を中心に成立した小邑群を集めて、中央政府直轄の県を設けたのである。郷とか聚の基本単元は『管子』では軌であり、商鞅では伍(ご)であり、睡虎地(すいこち)秦墓竹簡の示すところでは隣であり、いずれも小宗族(そうぞく)であると考えられる。伍は5戸によって構成されるが、商鞅によって戸別直接支配を意図したものの、そこまで支配できず、伍制という宗族の小単位把握にとどまったものである。その意味では商鞅の意図にもかかわらず「変法」による県制の成立は封建制の改編という結果に終わったといえよう。
 秦の始皇帝の天下統一によって郡県制は全国に及ぼされた。紀元前221年には東方6国を滅ぼし、36郡を設けて行政を統括した。郡には郡守、郡尉、郡監を置き、県には県令、県尉、県丞(けんじょう)を置いて、行政、軍事、監察の分野をそれぞれ担当した。彼らは中央派遣で地位を世襲することなく、随時転任させられた。したがって原則的には、周代にみる職官、土地を基本とする封建制は消滅したのである。しかし、県の下部単位の郷には父老、里には里典、伍には伍老などの宗族の代表者があって、官吏と共同して統治しているという実状にあった。秦朝の中央集権体制もこのような意味では小宗族の群に支えられているのであって、封建制の再編という結果は先の「変法」の場合と同様である。
 漢の高祖は官制など多くの面で秦制を踏襲しながらも、権力奪取の必要から異姓、同姓の諸侯を封国せざるをえなかった。これが郡国制である。異姓諸侯は高祖死去までにほとんど排除したが、同姓諸侯は文帝、景帝を経てようやくこの分権勢力を弱化することができた。郡県制が前漢中期に完成したといえよう。後漢(ごかん)を通じて郡県制は宗族を核とする豪族層によって支えられた。王朝はこれによって文治政治を達成することができた。魏晋(ぎしん)南北朝に入ると郡県の名はあるが、実体はなくなった。漢族が南渡すると本籍地の郡県を寄留地に設けたため混乱を起こすに至った。隋(ずい)の文帝はこのため郡を廃して州の下に県を直属させることにしたので郡県制は終わった。[好並隆司]

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世界大百科事典内の郡県制の言及

【漢】より

…その間,高祖や武帝を筆頭に文帝,宣帝,光武帝などのすぐれた為政者が現れてよく治世につとめたため,秦の始皇帝の描いた統一国家の理想は漢によって実現されたのみならず深く根をおろし,それはたんに政治のみならず文化,社会などの上でも中国の基礎をきずいた。なかでもとくに注目されるのは皇帝による中央集権的な官僚制と郡県制の施行であり,さらには儒教の国教化である。その後2000年にわたる中国において,前者は中国の政治組織の基本形態として継承され,後者は各王朝の国教として政治・社会の指導理念となり,学術・思想など精神文化を規律した。…

【始皇帝】より

… 帝国は五行のうちの水徳となし,これにもとづき歳首は十月,黒色を尊び,数は6をもって文物制度を規格し,黄河を徳水と名をあらため,また庶民を黔首(けんしゆ)(黒頭)と呼んだ。天下を36郡に区画し,領土の拡張に伴い42郡,さらに48郡に編成し,郡県制を全国に施行した。郡ごとに守(民政)とその丞(補佐),尉(軍政)とその丞および監(監察)を,県には令(または長,民政),丞および尉を置き,いずれも中央政府から派遣する中央集権体制を確立し,また什伍の法を全土に適用させた。…

【春秋戦国時代】より

…地方を貴族に与え領地として支配させる封建制に代わり,郡県として地方官を派遣して支配するようになる。これを郡県制とよび,秦・漢以後の地方行政の基本となるものであり,春秋後半には開始される。戦国初期の魏の文侯が政治改革に登用した李悝や西門豹などは官僚の先駆である。…

【秦】より

…前221年に秦王政(始皇帝)が全国を統一し,中国最初の統一帝国となる。統一後,秦はそれまでの社会体制を大改革し,郡県制を制定,官僚組織を整備するなど中央集権的国家体制をしき,これらの制度はのちの中国各王朝に引きつがれることになる。また秦は法律による統治を理想として,法家思想に基づく信賞必罰主義をとった。…

【中国】より

…それが徳の対立物たる〈力〉主義によって陥った〈戦国〉の分裂抗争という過渡期(春秋戦国時代)を秦の始皇帝が再び統一(前221)して以後の郡県の時代,これは法律と官僚の支配した中央集権の時代。秦以後,清朝の滅亡(1911)まで2000年,郡県の制度というものはもはや動かすべからざる情勢となったが,しかも国家の教学としては道徳と礼楽を原則とする儒教が採られたので,聖人たる周公の定めたところであり,儒教経典の記載するところである封建の世は後々まで政治の理想としての魅力を失わず,封建に帰れ,とか,郡県制の中に封建の意を寓せしめよ,とかの声は事あるごとに繰り返された。徳川時代の漢学者の中には,郡県制下の中国よりも日本の方が優越している,なぜなら封建制だから,と主張したものもあった。…

【中国思想】より


[秦・漢時代]
 秦はわずかに15年間で終わったが,始皇帝は後の中国の国家体制に決定的な刻印を残した。それは周の封建制を廃して郡県制を樹立したことである。周の封建制では,諸侯はもちろん,その家臣の大夫や士もその身分を世襲した。…

【朝鮮】より

…したがって近代になって日本人に知られるようになった,日本とはひじょうに異なる朝鮮の親族・家族制度は歴史とともに古いものではなく,国家の政策や社会のあり方に対応して変遷をたどってきた,すぐれて歴史的な産物であった。(3)独特の郡県制 支配層のあり方と,民衆の親族・家族制度のあり方とを結びつけるパイプの一つである地方行政制度も,時代によって大きく異なっている。前近代の地方行政制度でもっとも興味深いのは,高麗時代の郡県制である。…

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