呑竜(読み)ドンリュウ

デジタル大辞泉 「呑竜」の意味・読み・例文・類語

どんりゅう【呑竜】

[1556~1623]江戸初期の浄土宗の僧。武蔵の人。上野こうずけ太田大光院を始め各地に寺を開き、また、堕胎風潮を悲しんで赤子を養育したので、子育て呑竜とよばれた。

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改訂新版 世界大百科事典 「呑竜」の意味・わかりやすい解説

呑竜 (どんりゅう)
生没年:1556-1623(弘治2-元和9)

江戸初期の浄土宗の僧。源蓮社然誉大阿と号する。岩槻城主太田賢正の家臣井上信貞の次男として武蔵国埼玉郡新方領一の割村(埼玉県春日部市)に生まれた。幼名を竜寿丸といい,1569年(永禄12)隣村の浄土宗林西寺8世岌弁(きゆうべん)について出家し,名を曇竜と称した。2年後増上寺学寮に入り存応(ぞんのう)に師事した。1584年(天正12)林西寺,1600年(慶長5)武州滝山(東京都八王子市)の大善寺住職を経て,13年徳川家康が,新田義重追善のために上野国太田の地(群馬県太田市)に創建した大光院に,師存応の推挙によって開山として入寺し,悪竜をのむ夢をみて名を呑竜と改めた。貧困のため行われていた堕胎や間引きの惨状に対して,寺の禄米を施して小さな生命を救った。禄米流用の非難が起こるや困窮者の子弟を形だけ剃髪させて,弟子の名目のもとに慈善行を続け,子育て呑竜と呼ばれた。1616年(元和2)にはツル殺しの孝子源次兵衛をかばって信州小諸の仏光寺に6年間閑居したが,許されて帰寺するなど,民衆苦難をともにして教化に尽くした。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「呑竜」の意味・わかりやすい解説

呑竜
どんりゅう

日本陸軍の重爆撃機。制式名は陸軍一〇〇式重爆撃機。中島飛行機の製作になり,戦闘機の護衛を必要としない高速,強力武装の重爆撃機として 1943年に採用された。同年夏オーストラリアのポートダーウィンの強襲爆撃で名をあげたが,稼働率は低かった。フィリピン配置の戦隊は 1944年 12月アメリカ軍のミンドロ島上陸作戦を迎えて,全機 800kg爆弾を抱え「菊水特攻隊」として突入,壮烈な最期を遂げた。エンジンはハ-109 (1520馬力) 2,乗員8,全長 16.2m,全幅 20.3m,総重量 10.7t,最高速度時速 495km,実用上昇限度 8160m,航続距離約 2600km。武装は 20mm機関砲1,7.7~12.7mm機関銃5,爆弾搭載量 500~800kg。生産数は 796機。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「呑竜」の解説

呑竜 どんりゅう

1556-1623 織豊-江戸時代前期の僧。
弘治(こうじ)2年4月25日生まれ。浄土宗。武蔵(むさし)埼玉郡の人。同国林西寺の岌弁(きゅうべん)について出家し,江戸増上寺の存応(ぞんのう)にまなぶ。林西寺,大善寺の住職をつとめ,慶長18年上野(こうずけ)(群馬県)太田の大光院の開山(かいさん)となる。貧民の子を寺で養育し,「子育て呑竜」とよばれた。元和(げんな)9年8月9日死去。68歳。俗姓は井上。字(あざな)は故信。号は源蓮社然誉大阿。

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367日誕生日大事典 「呑竜」の解説

呑竜 (どんりゅう)

生年月日:1556年4月25日
安土桃山時代;江戸時代前期の浄土宗の僧
1623年没

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「呑竜」の意味・わかりやすい解説

呑竜
どんりゅう

太田呑竜

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