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大光院 ダイコウイン

デジタル大辞泉プラスの解説

大光院

群馬県太田市にある寺院。1611年創建。浄土宗。本尊は阿弥陀如来。「子育て呑龍(どんりゅう)」とも呼ばれ、安産子育て祈願で知られる。

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大辞林 第三版の解説

だいこういん【大光院】

群馬県太田市にある浄土宗の寺。山号、義重山。1613年徳川家康が新田義重の追善のために創建。開山は吞竜どんりゆう。関東十八檀林の一。新田寺。子育て吞竜。太田の吞竜。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

大光院
だいこういん

群馬県太田市金山町にある浄土宗の寺。義重山新田(にった)寺と号する。1613年(慶長18)、徳川家康が祖先新田義重(よししげ)の追善のため呑竜上人(どんりゅうしょうにん)を請(しょう)じ開山。呑竜は民間の堕胎の風習を悲しみ、子育てに努めたので、同寺は太田呑竜、また子育て呑竜さまとよばれ親しまれている。徳川家より寺領300石の寄進を受け、1622年(元和8)常紫衣(じょうしえ)の勅許を賜る。翌23年建立の開山堂には呑竜自作の木像を安置する。本尊阿弥陀如来(あみだにょらい)像は伝快慶(かいけい)作。境内には義重の霊廟(れいびょう)、呑竜の墓(無縫塔(むほうとう))がある。寺宝として新田義重、徳川家康・秀忠(ひでただ)の像、新田氏関係古文書を蔵する。[中山清田]

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世界大百科事典内の大光院の言及

【太田[市]】より

…中世は新田氏の所領で,金山には金山城が築かれた。徳川家康が建立した大光院(子育呑竜)の門前町として,また日光例幣使街道の宿場町として発達した。1919年中島飛行機製作所が設立され,第2次大戦中は一大軍需工業地帯の中心となった。…

【関東十八檀林】より

…しかし最後にできた深川霊巌寺は24年(寛永1)の開山であるので,制度としての確立はそれ以降のことである。かくして成立した十八檀林は,開山の年代順に相模鎌倉光明寺,武蔵鴻巣勝願寺(埼玉県鴻巣市),常陸瓜連常福寺(茨城県那珂郡瓜連町),江戸芝増上寺,下総飯沼弘経寺(茨城県水海道市),下総小金東漸寺(千葉県松戸市),上総生実(おゆみ)大巌寺(千葉市),武蔵川越蓮馨寺(埼玉県川越市),武蔵滝山大善寺(東京都八王子市),武蔵岩槻浄国寺(埼玉県岩槻市),常陸江戸崎大念寺(茨城県稲敷郡江戸崎町),上野館林善導寺(群馬県館林市),下総結城弘経寺(茨城県結城市),江戸本所霊山(りようぜん)寺(東京都墨田区),江戸下谷幡随院(東京都小金井市,もと台東区浅草神吉町),江戸小石川伝通院,上野新田大光院(群馬県太田市),江戸深川霊巌寺(東京都江東区)である。学問所としての檀林はやがて幕府の寺院統制下で行政の一端をにない,一,二の変動はあったが宗教行政の中心となった。…

【上野国】より

…蘭医学では種痘の村上随憲,帝王切開を創始した伊古田純道,脱獄した高野長英をかくまった福田宗禎らをあげることができる。宗教の面では徳川家康が新田義重の菩提のため太田に大光院を開き,世良田の長楽寺に天海を派遣するなど,みずからの遠祖と称する新田徳川氏の供養につとめ,また前橋妙安寺から親鸞木像を東本願寺に遷座させた。黄檗宗の少林山(高崎市)は達磨寺の寺号にちなんで,幕末から福だるまの風習を生んだ。…

【呑竜】より

…2年後増上寺学寮に入り存応(ぞんのう)に師事した。1584年(天正12)林西寺,1600年(慶長5)武州滝山(東京都八王子市)の大善寺住職を経て,13年徳川家康が,新田義重追善のために上野国太田の地(群馬県太田市)に創建した大光院に,師存応の推挙によって開山として入寺し,悪竜をのむ夢をみて名を呑竜と改めた。貧困のため行われていた堕胎や間引きの惨状に対して,寺の禄米を施して小さな生命を救った。…

※「大光院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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