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和時計 ワドケイ

朝日新聞掲載「キーワード」の解説

和時計

ぜんまい仕掛け。徳川家康の命で、京都出身で尾張で仕事をしていた時計師、津田助左衛門が開発した。現在の12時間法とは違い、24時間烹夏季と冬季で針の位置を変えて昼と夜の針の進む速度を調節する不定時法の時計。日本の生活に合わせた。

(2008-09-22 朝日新聞 朝刊 名古屋 1地方)

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百科事典マイペディアの解説

和時計【わどけい】

西洋から伝来した時計をもとに,江戸時代,不定時法の時刻を表示できるようにくふうを加えて製作された機械時計。宣教師によってもたらされた西洋の機械時計の基本的な機構を踏襲しながら,昼用と夜用の二つの天秤(てんびん)をもたせたり,文字盤上の時刻の分割のしかたを変更できるようにするなど,日本の不定時法時刻制度に合わせた独特の時計が作られた。
→関連項目時計

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デジタル大辞泉プラスの解説

和時計

民芸研究家、塚田泰三郎によるエッセイ。1960年刊行。第9回日本エッセイスト・クラブ賞受賞。

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世界大百科事典 第2版の解説

わどけい【和時計】

徳川幕府の鎖国時代につくられた日本独特の時計。1549年フランシスコ・ザビエルがキリスト教布教のために日本に上陸して以来,西洋の珍しい文物が宣教師から大名に献上されたが,その中に少数の時計があった。これらの時計は現在の時刻法と同じ定時法のものであったが,日本はまだ不定時法の時代で,1873年(明治6)の改正までは西洋の時計はそのままでは日本では実用にならなかった。そこで基本的な機構を模倣しながら不定時法の時刻を示すようにくふうを加え,日本以外に類例のない二挺天秤(にちようてんびん),割駒式文字盤のような独創的な機構をもち,櫓(やぐら)時計,台時計,尺時計,枕時計,印籠時計などの,工芸的に見ても独創的できわめて優美な時計がつくり上げられたのである。

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大辞林 第三版の解説

わどけい【和時計】

江戸時代、西洋時計の機構に倣って日本で作られた時計。工夫を加えて不定時法の表示を行うものが作られるに至った。櫓やぐら時計・尺時計・印籠時計・枕時計など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

和時計
わどけい

江戸時代に日本でつくられた機械時計。西洋から伝来した機械時計を基に、鎖国の状況下で時計師たちが、当時の日本の時刻制度、生活様式にあうように考案、改造した日本独特の時計である。日本への機械時計の伝来は1551年(天文20)、宣教師フランシスコ・ザビエルが山口の領主大内義隆(よしたか)に布教の許可を願い出た際、時計を献上したことに始まる。その後キリスト教の広がりにつれ時計の持ち込みも多くなった。一方、宣教師たちによってその製造法が伝えられ、慶長(けいちょう)年間(1596~1615)には九州からやがて近畿地方においても伝習されるようになった。日本の時計技術者の祖といわれる津田助左衛門は徳川家康所有の自鳴鐘(じめいしょう)(時計)を修理し、それを見本に時計一台をつくって献上し、のち尾張(おわり)徳川家に時計師として仕えた。島原の乱後、鎖国の完成(1639)によって時計もまたヨーロッパとの交流を断たれ、機械時計の発明によって定時法(一昼夜を等分する方法)の採用に向かった西洋諸国とは異なり、日の出、日の入りを基準とし、一時(いっとき)の長さが昼夜、そして毎日変化する日本の時刻制度にあうような時計の実現に力を注ぐことになった。和時計の製作は江戸時代初期にはまれであったが、中期になると大名のお抱え時計師の数も増え、しだいに盛んとなった。1796年(寛政8)には時計の製造について『機巧図彙(からくりずい)』という著述が細川頼直(よりなお)によって書かれている。現在使用している時計の語も江戸時代からであるが、古くは斗景、斗鶏、土圭、自鳴鐘、時辰儀(じしんぎ)などと書かれた。1873年(明治6)1月の改暦と定時法の採用によって和時計は実用性を失い、その多くは廃棄され、一部は海外に流出した。また工芸品的な和時計産業は外国との競争力をもたず消滅した。
 和時計は形状や機械の構造によって次のように分類される。
(1)櫓(やぐら)時計 機械部は火の見櫓状の台の上に置かれ、台の中に下げられた重錘(じゅうすい)を動力として動く。棒てんぷは初め一つ(一挺(いっちょう))であったが、昼夜の一時(いっとき)の長さを調整するためてんぷの腕にかけられている分銅の位置を移し変える手間を省くため、昼間用と夜間用のてんぷ二つを備え、暮六つ、明(あけ)六つに自動的に切り替わる機構(二挺てんぷ)が考案された。時刻は十二支および刻の呼び数で示され、その表示方法には針が動くもの、針が上向きに固定され文字板が回るものがあり、また一刻の長短を時刻を記した小片(割駒(わりこま))を動かして間を広げたり狭めたりして調整する割駒式文字板も用いられた。櫓時計と同種のものに四脚の台にのせた台時計、形式としてはいちばん古い掛け時計がある。
(2)尺時計 細長い箱の上部に機械部が納まり重錘が下がって機械を動かす。重錘には指針がつき、箱の前面に取り付けられた時刻目盛りの上を移動して時刻を示す。割駒式、季節ごとに目盛りを変えた板を取り替える節板式、および1年間の各季節の時刻目盛りを刻んだ波板式のいずれかの文字板が用いられている。外国にはみられない独特の形式の時計で柱に掛けて、用いられる。
(3)枕(まくら)時計 ぜんまいを動力とした置き時計で、美しい彫刻や金被覆で飾られ、紫檀(したん)、黒檀などのケースに入れられ、単なる時計にとどまらず、装飾としても利用される豪華で精巧なものが多い。
 和時計には以上のほかに重力時計、卓上時計、卦算(けさん)(文鎮)時計、懐中時計、印籠(いんろう)時計などがある。江戸末期の1851年(嘉永4)田中久重(ひさしげ)の製作した万年時計は一種の天文時計で和時計最大の傑作として名高く、現在東京・上野の国立科学博物館に保存されている。[元持邦之]

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世界大百科事典内の和時計の言及

【からくり】より

…その後傀儡(くぐつ)師は素朴な仕掛け人形を用いていたが,やがて近世の人形芝居や見世物そして祭礼の〈屋台からくり〉の世界が開花していく。日本の機巧術が大きく発展するのは江戸時代のことで,日本の細工師たちはヨーロッパから渡来した機械時計にぜんまい,歯車,カム,クランクそして制御装置を目にし,これをもとに和時計をつくり,この時計技術を下敷きとして,からくりの夢を実現させた。竹田近江が考案した〈竹田からくり〉に代表される仕掛けものの人形芝居(竹田座)が盛況をみた江戸時代中期には,いっぽうで名古屋を中心に祭礼の〈屋台からくり〉が技術の粋をきそい,その遺品は今日では高山祭の〈竜神台〉や〈布袋(ほてい)台〉などの〈離れからくり〉にみることができる。…

【時刻】より

…時刻法は一般庶民の生活に便利な不定時法であった。室町時代末期に外国との交渉が始まるとともに,キリスト教の宣教師が西洋の機械時計を日本に持ち込んだが,生来器用な日本人はその機構をまねて不定時法の時刻を示す和時計を作製した。和時計が普及するようになると時法も精密なものが要求されるようになり,1辰刻をさらに10等分した分が使用されるようになった。…

※「和時計」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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