日本大百科全書(ニッポニカ) 「機械制大工業」の意味・わかりやすい解説
機械制大工業
きかいせいだいこうぎょう
英語では一般的にgreat industry(大工業)という。近代的大工業は産業革命によって生まれた。大工業における工場生産では、一定の大規模な機械体系の使用を特徴とするから、これを機械制大工業とよぶ。産業革命期の機械体系は、動力機を中心として、その動力を伝達する伝導機構および作業機から構成されていた。機械の出現は、歴史的には紡績機のような作業機から始まったが、産業革命の初期にはまだ人力、馬力、水力を動力源としていたために、工場の立地や機械の効率には限界があった。しかしワットの蒸気機関=動力機の発明(1781)によって初めて、従来の人力、畜力、水力、風力といった自然的動力の限界を突破し、動力を人間の制御のもとに置くことを可能にした。一方、機械の大規模化と機械を構成する部分の複雑多様化とともに、従来のような人間の手作業でつくっていた機械生産そのものが、機械によって置き換えられるようになる。のみ、やすりといった幼稚な手工具の工作機械への移行、さらに旋盤をはじめ各種工作機械の精度化、自動化を経て、機械による機械の生産が完成する。こうしてそれ以前の技術的制約から解放された機械体系は、ここに客観的な生産有機体として確立し、古い社会的生産様式を根底から変革したのである。
ところで、ひとたび機械制大工業が成立すると、一方では生産の機械化、大規模化がますます進行するとともに、他方では生産組織の合理化が進む。すなわち仕事は半熟練ないし不熟練工でもできる単純な作業に分解される一方、分解された部分を決まった手順で全体に組み立てられるような精密な製造法の開発が要請される。それが互換性部品方式の開発である。こうして機械制大工業は結節型作業から流れ作業に転換してゆく。生産組織の合理化とは、作業をあらかじめ決められた速さで労働者のもとに運び、一連の単純な繰り返しの動作でこれを加工させ、組み立てさせることである。こうして流れ作業はコストを低減させながら、大量生産を可能にしたのである。
なお機械制大工業は最初はイギリスにおいて成立したが、互換性部品方式や流れ組立て作業の原理が最初に本格的応用をみたのはアメリカである。アメリカではイーライ・ホイットニーの発明した綿繰機(1793)からコルトのピストル(1835)、マコーミックCyrus Hall McCormick(1809―84)の農業用刈取機(1834年特許、ただし大規模生産開始は47年)の製造を経て、19世紀後半にはミシン、タイプライター、自転車、そして自動車製造へと拡大発展し、今日の機械制大工業へ継承されている。
[角山 榮]
『D・S・ランデス著、石坂昭雄・冨岡庄一訳『西ヨーロッパ工業史Ⅰ』(1980・みすず書房)』