善昌寺(読み)ぜんしようじ

日本歴史地名大系 「善昌寺」の解説

善昌寺
ぜんしようじ

[現在地名]上下町上下

おきな山の南西麓に位置し、曹洞宗。護国山と号し本尊千手観音。初め臨済宗で、寺伝によれば正中二年(一三二五)斎藤美作守景宗が弁翁を開山に迎えて創建したという。上下の地頭職を得て丹下たんげ城を構えた景宗は、京都との往来の途中弁翁に出会い帰依したといわれる。弁翁は出雲国の臨済宗瑞塔山雲樹うんじゆ(現島根県安来市)の僧三光の弟子であるが、三光は後醍醐天皇の縁で南禅寺に住山し、のち後村上天皇が和泉国高石たかいし(現大阪府高石市)大雄だいゆう寺を建立するとそこに迎えられるが、その死後弁翁が大雄寺二代に迎えられた。


善昌寺
ぜんしようじ

[現在地名]新里村新川

新光院大平山妙珠院と号し、天台宗。本尊阿弥陀如来。大同年間(八〇六―八一〇)最澄の弟子宥海の開創で大同だいどう寺と称したという。その後の経緯は不明。応安六年(一三七三)長楽ちようらく(現新田郡尾島町)塔頭大通庵に寄進され、臨済宗となる。なおこの時の寄進状には当寺の所在を記して「山上保窪井村」とある(→新川村。「沙石集」に「近比念仏ノ行者トシテ尊キ上人トきこえキ」とある行仙は、著書「念仏往生伝」のなかで「就中行仙当四七日之忌辰、於窪井本房聞之」と記している。


善昌寺
ぜんしようじ

[現在地名]昭和区石仏町一丁目

塩付しおつけ街道の西に位置し、慈雲山と号し、曹洞宗。本尊釈迦如来。天保村絵図には、寺院の様子や個々の建物が描かれ、北中央に木立に囲まれた本堂があり、南西に観音堂が、その東に松の大木に包まれた小祠がある。「徇行記」は寛文三年(一六六三)創建で千山を開山とし、元禄一三年(一七〇〇)再建というが、境内六畝が備前検除地となっており、「尾張志」は慶長一三年(一六〇八)創建という。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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