江戸時代,幕府や藩がみずから,あるいは家臣・町人・農民に命じて貯蔵させた米穀。長期の保存に耐える籾を用いることが多いので囲籾ともいう。幕府自身の囲米としては,幕初から年貢米の一部が米蔵に蓄えられており,1843年(天保14)には江戸浅草御蔵に14万石のほか小菅,大坂,二条,駿府など合計55万石であった。大名には,1633年(寛永10)以来,城詰米と称して宇都宮,松本,諏訪,膳所藩など要地の譜代大名に幕府米の貯蔵と詰替えを命じている。これらは幕府の全国支配の一環として軍事上や飢饉対策,米価調節に利用された。このほか米価対策として行われた囲米として,(1)幕領年貢収納量がピークに達した宝暦年間(1751-64)に,諸大名にたいし1万石につき籾1000俵の囲置きを命じた例,(2)寛政(1789-1801)初年に幕領農村に郷倉を設置したり,江戸・大坂に籾蔵を建てるなどして,農民・町人に貯籾を命じ,凶作時の夫食(ぶじき)・救米の備えとした例,(3)低米価に悩んだ文化年間(1804-18)に,大坂の豪商に囲米を命じ米価引上げを図った例などがある。また備荒貯穀として独自な囲米制度を採用している藩も多く,水戸藩の常平倉,会津藩の社倉,米沢藩の義倉などは著名である。
執筆者:大口 勇次郎
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…禁裏,仙洞御所,公家屋敷,二条城,所司代屋敷,東西両町奉行所なども類焼した。幕府はおりから米穀を買い占めたとして闕所(けつしよ)になった近江屋忠蔵の2万2000両のうち2万両を類焼町に配分して貸し付け,月3厘の利息で籾を備蓄したのが洛中囲米(かこいまい)の初めという。大火は大商人を含む京都商業に大きな打撃を与えた。…
※「囲い米」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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