国故整理運動(読み)こっこせいりうんどう(英語表記)Guó gù zhěng lǐ yùn dòng

改訂新版 世界大百科事典 「国故整理運動」の意味・わかりやすい解説

国故整理運動 (こっこせいりうんどう)
Guó gù zhěng lǐ yùn dòng

国故とは国学,すなわち中国の伝統的学問。1915年9月,陳独秀は《青年雑誌》(1年後《新青年》と改題)を創刊し,彼が西洋近代の基礎と考えた〈民主と科学〉を旗じるしとして新文化運動をはじめた。そこでは中国のいっさいの伝統が否定され〈聖人を尊ばず,古えを尊ばず,国粋を尊ばず〉といった西洋崇拝と中国蔑視の風潮があらわれた。そうした風潮に対して,19年の五・四運動の前後から,中国固有の伝統思想や文化を学術的立場から新たに再検討し再評価しようとする運動が出現,それを国故整理運動という。国故整理の動きは,早くに清末の章炳麟元祖とするが,より直接的には,17年にアメリカから帰国して北京大学教授となった26歳の胡適が書いた《中国哲学史大綱》(上巻,1919)を創始とし,およそ四つの分野からなる。第1は,胡適や梁啓超の《先秦政治思想史》に代表される先秦の諸子百家および仏教などについての思想史的研究。第2は,おなじく胡適による《西遊記》《水滸伝》《紅楼夢》など元・明・清の古典小説の整理考証,また周作人らの北京大学歌謡研究会がおこなった民間に伝わる故事伝説歌謡などフォークロアの収集といった文学的研究。第3は,銭玄同や《古史弁》全7冊の著者顧頡剛(こけつごう)ら疑古派と称された人々によってなされた,伝統的歴史に対する批判精神にあふれる実証的な歴史研究。そして第4は,劉師培,張煊ら保守的学者が19年に発刊した雑誌《国故月刊》に色濃くみられる,白話(口語)文の流行,五・四新文化運動への心情的反発を主要な動機とする中国の伝統文化顕彰の作業--である。49年以降,中国ではこうした国故整理運動が,台湾に逃れた胡適をその主唱者としたことなどから,中国共産党路線に反対する反動的学術運動と評され,否定的にみなされてきた。が,80年代に入って,その歴史的価値を見直そうとする動きがあらわれ,《古史弁》が影印されはじめている。
胡適思想批判
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「国故整理運動」の意味・わかりやすい解説

国故整理運動
こっこせいりうんどう
Guo-gu zheng-li yun-dong

1919年の五・四運動に先立って起った中国の文学革命,および伝統,文化の再評価運動。「国故」とは中国語で古典のこと。この運動の発火点となったのは,17年に『新青年』誌に掲載された胡適の「文学改良芻議」と陳独秀の「文学革命論」で,当時の文学,詩の形式主義を批判し,白話 (口語) 文学を提唱した。特にプラグマティズムの方法を古典整理に適用し,儒教中心を前提とする古典の評価を否定し,古典に新しい価値を見出そうとした。また『水滸伝』『金瓶梅』『紅楼夢』などが文学として評価され,顧頡剛らの擬古派は歴史の実証的研究に努めた。この運動が行われるうち,一部の研究は次第に初期の儒教批判を経て伝統思想に近代的な装いをつける態度に変っていったが,他の多くの研究は文化遺産の再評価などで業績をあげた。

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