坂崎斌(読み)さかざきびん

改訂新版 世界大百科事典 「坂崎斌」の意味・わかりやすい解説

坂崎斌 (さかざきびん)
生没年:1853-1913(嘉永6-大正2)

明治期のジャーナリスト,自由民権家。号は紫瀾(しらん)。土佐藩出身。岡山の漢学者阪谷朗盧のもとで学ぶ。1874年愛国公党に加盟し,以後自由民権運動に参加。76年長野県松本裁判所判事となり,ついで《松本新聞》の主筆となって民権思想を鼓吹。78年帰郷。《高知新聞》,ついで《土陽新聞》を発刊。植木枝盛らと民権思想の普及に奔走した。81年12月演説を禁止されるや〈馬鹿林鈍翁〉を名のって民権講釈を開始。これも禁止にあい,小説の創作に従事した。84年自由党系新聞《自由灯(じゆうのともしび)》の論説を執筆。以後各種新聞の記者をつとめた。晩年には維新史料編纂局編纂委員となる。ビクトル・ユゴーの小説の最初の翻訳者で,フランス革命を舞台にした小説《九十三年》を〈仏国革命修羅の衢(ちまた)〉として《自由新聞》(1884)に連載した。
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朝日日本歴史人物事典 「坂崎斌」の解説

坂崎斌

没年:大正2.2.17(1913)
生年:嘉永6.11.18(1853.12.18)
明治時代のジャーナリスト。最初の名は謙次,後に斌。号は紫瀾など。江戸の土佐藩邸に医師耕雲,妻きさ子の次男として生まれる。明治7(1874)年愛国公党に参加する。以後,『高知新聞』『土陽新聞』『自由灯』などの自由党系の諸新聞で論陣を張り,自由民権派の論客としての名を高めた。政談演説が禁止されると馬鹿林鈍翁と名乗り,民権講釈を行うという一面もあった。ビクトル・ユゴーの小説の翻訳などでも知られ,『陸奥宗光』(1898)などの著書がある。晩年は維新史料編纂事務局編纂員を務めた。女権拡張論者の一面もあった。<参考文献>野崎左文「坂崎紫瀾翁の伝」(『明治文化研究』3巻9号)

(小宮一夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「坂崎斌」の解説

坂崎斌 さかざき-びん

坂崎紫瀾(さかざき-しらん)

坂崎斌 さかざき-さかん

坂崎紫瀾(さかざき-しらん)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の坂崎斌の言及

【講談】より

…彼はかつて白浪物を得意として〈泥棒伯円〉といわれたが,新時代を迎えて《コロンブス伝》などの翻案物をこころみるとともに,〈時事講談〉や新聞記事をもとにした〈新聞講談〉で評判になった。また,坂崎斌(びん)(1855‐1914)が82年に〈東洋一派民権講釈〉と題して自由民権を唱えてから〈政治講談〉が生まれ,やがて伊藤痴遊が出現した。80年ごろから97年ごろまでは近代講談の黄金時代で,東京の釈場は80軒,講釈師は800名にのぼった。…

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