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絵本太功記 えほんたいこうき

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

絵本太功記
えほんたいこうき

浄瑠璃。時代物。 13段。近松柳近松湖水軒近松千葉軒の合作。寛政 11 (1799) 年大坂道頓堀若太夫芝居 (豊竹座) 初演。実録体小説『真書太閤記』,読本絵本太閤記』などに取材し,明智光秀 (作中では武智) の謀反を中心に描く。高松城水攻めなどを加え,6月1日から 13日までを 13段に分けて発端を添えた。逆臣にならざるをえなかった苦悩する武士として光秀像を造形。6段目「妙心寺」,10段目「尼ヶ崎」 (歌舞伎では通称太十〈たいじゅう〉」) が特にすぐれる。

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デジタル大辞泉の解説

えほんたいこうき〔ヱホンタイコウキ〕【絵本太功記】

浄瑠璃時代物。13段。近松柳・近松湖水軒・近松千葉軒の合作。寛政11年(1799)初演。「絵本太閤記」などをもとにしたもので、10段目「尼ヶ崎」(通称「太十(たいじゅう)」)が有名。太功記。

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百科事典マイペディアの解説

絵本太功記【えほんたいこうき】

近松柳(やなぎ)ら作の浄瑠璃。1799年初演。また,これに基づく歌舞伎劇。時代物。通称《太功記》。読本(よみほん)の《絵本太閤記》より,武智光秀(明智光秀)の謀叛から滅亡までを13段に分けて脚色

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世界大百科事典 第2版の解説

えほんたいこうき【絵本太功記】

人形浄瑠璃。時代物。13段。別名題《絵合太功記》。近松柳,近松湖水軒,近松千葉軒による合作。1799年(寛政11)7月12日から大坂若太夫芝居で初演。太閤記物(たいこうきもの)の代表作。1797年から1802年(享和2)にかけて出版された読本《絵本太閤記》などによって知られた秀吉一代記から,光秀の反逆を中心に脚色したもの。6月1日から13日までの物語を1日1段に構成した珍しい趣向。この時期,人形浄瑠璃は,歌舞伎に押されて興行不振だった。

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大辞林 第三版の解説

えほんたいこうき【絵本太功記】

人形浄瑠璃。時代物。近松柳・近松湖水軒・近松千葉軒の合作。1799年初演。一三段。「絵本太閤記」により、明智光秀の謀反から滅亡までの一三日間を一日一段に構成。一〇段目「尼ヶ崎あまがさきの段」(通称「太十たいじゆう」)は有名。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

絵本太功記
えほんたいこうき

浄瑠璃義太夫節(じょうるりぎだゆうぶし)。時代物。13段。近松柳(やなぎ)、近松湖水軒(こすいけん)、近松千葉軒(せんようけん)合作。1799年(寛政11)7月大坂・豊竹座(とよたけざ)初演。通称「太功記」。岡田玉山の読本(よみほん)『絵本太閤記』をもとに、明智光秀(あけちみつひで)の謀反から小栗栖(おぐるす)村における最期までを、6月1日から13日まで、1日1段(冊)ずつに分けて脚色。当時の法規に触れないように、登場人物の役名は明智を武智(たけち)、織田(おだ)信長を小田春永(おだはるなが)、羽柴(はしば)秀吉を真柴久吉(ましばひさよし)としている。初演の翌年には歌舞伎(かぶき)にも移された。とくに有名なのは、反逆者の悲哀と、若い男女の純愛を裂く戦争の非情を鮮やかに描いた6月10日「尼ヶ崎(あまがさき)」の段で、「太十(たいじゅう)」(「太功記十段目」の略)の通称で広く親しまれている。
 武智光秀の母皐月(さつき)は息子の謀反を恥じ、尼ヶ崎に閑居。光秀の妻操(みさお)、息子十次郎(じゅうじろう)、その許嫁(いいなづけ)の初菊(はつぎく)が見舞いにくる。十次郎は父に従うため、討ち死にを覚悟でいとまごいをするが、その心を察した皐月は、彼の出陣に先だって初菊と祝言させてやる。今宵(こよい)、この家へ一夜の宿を求めた旅僧は久吉の変装で、それを追ってきた光秀は久吉を討とうとして、過って皐月を竹槍(たけやり)で刺す。そこへ重傷を負った十次郎が戻って敗戦の模様を伝え、父の身を気遣いながら死ぬ。さすがの光秀も恩愛の情に迫られて泣く。おりから久吉が現れ、光秀と山崎での一戦を約して別れる。なお、6月1日~5日の段では、春永から侮辱を受けた光秀の本能寺における弑逆(しぎゃく)や、高松城主清水宗治(むねはる)の妹玉露(たまつゆ)と恋人浦辺山三郎のエピソードなどを描き、そのあと、妙心寺における光秀の動揺(六日の段)や、鱸重成(すずきしげなり)の子孫市(まごいち)が足利(あしかが)家の遺児を助けるため、命を捨てる話などが描かれている。[松井俊諭]

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世界大百科事典内の絵本太功記の言及

【明智光秀】より

…ちなみに織田信長を尾田春永,羽柴秀吉は真柴久吉といいかえられるのが約束であった。それら〈太閤記物〉のなかで光秀像を決定づけたのは,1799年(寛政11)初演の浄瑠璃《絵本太功記》であろう。この作品は歌舞伎では翌1800年に上演されている。…

【太閤記物】より

…《時代織室町錦繡》は8段物の技巧作で,81年2月初演。寛政・享和期(1789‐1804)に多く作られ,89年《木下蔭狭間合戦(このしたかげはざまがつせん)》,91年《彫刻左小刀》,93年《蝶花形名歌島台》,94年《唐錦艶書功(からにしきえんしよのいさおし)》《日本賢女鑑》,96年《鬼上宦漢土日記(おにしやがんもろこしにつき)》,99年《絵本太功記》《太功後編の旗颺(たいこうごにちのはたあげ)》,1801年《日吉丸稚桜(わかきのさくら)》など16作があり,この時期は太閤記物の最盛期であり,注目作の《木下蔭狭間合戦》と代表作の《絵本太功記》とで終始した。前者は桶狭間(おけはざま)の合戦を背景としたもので歌舞伎においてもくり返し上演された。…

【文弥節】より

…それをさらに応用したのが初世の高弟岡本阿波太夫で〈愁ひ節〉として知られた。文弥節を吸収したのは義太夫節で,《伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)》の〈政岡忠義の段〉の,〈忠と教える親鳥の〉は文弥節,《絵本太功記》十段目の〈涙に誠あらわせり〉は文弥オトシである。そのほか,山本角太夫(かくだゆう)の角太夫節も影響を受け,一中節も文弥の泣き節をとり入れたといわれ,新内節で使われるウレヒは,阿波太夫の影響といわれる。…

※「絵本太功記」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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