堀口村(読み)ほりぐちむら

日本歴史地名大系 「堀口村」の解説

堀口村
ほりぐちむら

[現在地名]尾島町堀口・太子町たいしちよう

村央を蛇行して流れるはや川が南東端で利根川に流れ込む。東は押切おしきり村、西は亀岡かめおか村・前島まえじま村、北は岩松いわまつ村・阿久津あくつ村・尾島おじま村の耕地、南は古利根川(現早川)を越えて前小屋まえごや村。元久二年(一二〇五)八月の源実朝下文写(正木文書)に「堀口郷」とみえ、新田氏の祖義重から嫡子義兼へ譲られ、地頭職が安堵された。また建保三年(一二一五)義兼後家新田尼よりその嫡孫岩松時兼に所領が譲渡され、同年地頭職に補任された新田庄内一二ヵ郷中に「上堀口郷」がある(同年三月二二日「将軍家政所下文写」同文書)。嘉暦四年(一三二九)恵宗宛行状案(長楽寺文書)によると、長楽ちようらく寺中興の功労者大谷道海は堀口などの在家を売寄進した功績によって、各郷の政所職を手にいれている。文和二年(一三五三)三月一九日には、足利尊氏が上堀口、富沢とみざわ(現太田市)郷内の中沢左衛門太郎入道後家尼了順知行分を長楽寺普光ふこう庵に寄進したが(「足利尊氏寄進状」同文書)、惣郷の支配は国人領主新田岩松氏の手にゆだねられていた(年月日未詳「岩松持国知行分注文」正木文書)

堀口村
ほりぐちむら

[現在地名]所沢市上山口かみやまぐち

勝楽寺しようらくじ村の東にあり、北は北野きたの村・じま村。狭山丘陵山口谷の村々の一で、南を柳瀬やなせ川が東へ流れる。入間いるま郡山口領に属した(風土記稿)。天正一九年(一五九一)五月旗本久松彦左衛門忠次へ「山口之郷堀口村」一四七石が宛行われた(記録御用所本古文書)。以後幕末まで久松領。田園簿では山口村に含まれる。山口村は田二八九石余・畑三八五石余、幕府領と旗本坂部・小林・武蔵・松風・久貝・長田・武蔵・久松の八氏の相給。当村はこのうち久松領一四七石に相当する。

堀口村
ほりぐちむら

[現在地名]伊勢崎市堀口町

にら川右岸の沖積低地なか町の東に位置。日光例幣使街道が通る。しば宿の加宿で問屋が置かれ、平常は柴町・中町と交替で勤めた。永禄八年(一五六五)二月二六日の長楽寺義哲書状写(「長楽寺永禄日記」所収)によると、同年由良成繁・国繁は武田信玄を迎撃するため当地に出陣している。また年未詳一二月一五日の北条氏照書状(桜井市作氏所蔵文書)によると、茂呂もろ・堀口は小田原北条氏の拠点であり、周濠を一重だけめぐらした簡略な要害だったことがわかる。「伊勢崎風土記」などによると、この堀口の要害は史料上「那波要害」などと記される通称那波なは城跡とされるが定かでない。

堀口村
ほりぐちむら

[現在地名]志波姫町 堀口・南堀口みなみほりぐち北堀口きたほりぐちなど

一迫いちはさま川右岸の低湿地に立地し、東は八樟やつくぬぎ村、南西は築館つきだて(現築館町)と接する。奥州街道築館宿より北東の若柳わかやなぎ宿(現若柳町)に至る道が村南を通る。正保郷帳に村名がみえ、田四九貫四一五文・畑一九貫八六四文で、ほかに新田四貫四九九文とある。「安永風土記」では田一二〇貫七七五文・畑二四貫四八七文とあり、蔵入四三貫七一二文、ほかは給所。人頭八九人、うち寛永一八年(一六四一)の検地での竿答百姓は三六人。

堀口村
ほりぐちむら

[現在地名]博多区千代ちよ三丁目

那珂なか郡に所属。御笠みかさ川下流右岸に位置する。東は堅糟かたかす村、南は同川を挟んで博多。慶長七年(一六〇二)の検地の際は堅糟村の内。のちに分れて別村となる。天保郷帳には記載がなく、「続風土記附録」などにはつじ村の内とある。元禄五年(一六九二)には高一一六石余、家数五八・寺一、人数三六三(田圃志)。石高書上帳案の郡帳高は八五石余。寛政期(一七八九―一八〇一)の家数一二三・人数七七一、馬八(別本「続風土記附録」)

堀口村
ほりぐちむら

[現在地名]勝田市堀口・中原なかはら町・ほん

村の大部分は那珂台地で、台地南面の裾を小場江おばえ用水が流れ、北は大島おおしま村。文禄四年(一五九五)の中務大輔当知行目録(秋田県立図書館蔵)に「ほり口」とみえ、佐竹氏の一族東義久の知行地であった。寛永一二年(一六三五)の水戸領郷高帳先高に「堀口村」とあり石高一八三・二〇三石で、ほかに新田分三・〇七一石がある。「水府志料」によると戸数およそ三三であった。

常陸大掾伝記」によれば鎌倉時代に大掾系の吉田広幹の子盛家が堀口八郎を称し、堀口郷の地頭として土着したとされるが、その館跡については不明。

堀口村
ほりぐちむら

[現在地名]岩出町堀口

もり村の西にあり、南は金屋かなや村。「続風土記」は「村の南の端に小き池形あり、森村荒田ノ神社神幸の地にて、字を松の下と唱へて神事の時垢離を取る所なりといふ、村名これより出るならん」と記す。「紀伊名所図会」の荒田あらたの神社の項に「御手洗池本社より西にあり」とあるのはこの池にあたると思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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