堀山城(読み)ほり・やましろ

朝日日本歴史人物事典 「堀山城」の解説

堀山城(初代)

没年:寛永4(1627)
生年:生年不詳
江戸前期の釜師,堀山城家の祖。名は清光,通称弥助といい,浄栄と号した。京都の釜師・名越三昌次男で,元和3(1617)年,幕府の召に応じて江戸に下り,鉄釜ならびに唐銅物御細工御用を命ぜられ,滞りなく納めたため,御細工支配として山下御門川岸通山城町に細工地,切米を給された。元和3年ごろには,すでに山城守を受領しており,細工所を川岸通に設けたため堀山城と呼ばれ,堀が姓となった。日光東照宮の元和3年銘の灯籠最古の作品である。堀家はこの後幕末まで,徳川家の御用釜師として9代続いた。<参考文献>香取秀真『新撰茶之湯釜図録』

(原田一敏)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「堀山城」の解説

堀山城(初代) ほり-やましろ

?-1627ごろ 江戸時代前期の釜師(かまし)。
名越三昌(なごし-さんしょう)の次男。元和3年まねかれて江戸におもむき,山下御門の外河岸通り山城町に屋敷をあたえられ幕府の釜師となる。作品に尾上釜,筒釜などの茶釜,元和3年銘の日光東照宮銅灯籠(とうろう)がある。寛永4年ごろ死去。山城(京都府)出身。名は清光。通称は弥助。号は浄栄。

堀山城(2代) ほり-やましろ

?-1682 江戸時代前期の釜師(かまし)。
初代堀山城の子。元和(げんな)7年幕府の鋳物御用見習となり,寛永4年父の跡をついで御用釜師となる。上野東照宮の銅灯籠(とうろう)12基,日光東照宮の銅灯籠12基などの大型作品をのこした。天和(てんな)2年死去。名は清光。通称は弥助。号は浄甫。

堀山城(5代) ほり-やましろ

?-1716 江戸時代中期の釜師(かまし)。
2代堀山城の甥(おい)。正徳(しょうとく)2年5代をつぐ。同年江戸芝増上寺の6代将軍徳川家宣(いえのぶ)廟(びょう)前の銅灯籠(とうろう)14基を鋳造した。3年故あって細工所を没収された。享保(きょうほう)元年死去。名は清次。通称は藤兵衛。

堀山城(8代) ほり-やましろ

?-? 江戸時代中期-後期の釜師(かまし)。
天明6年(1786)家をつぎ,翌年細工頭(さいくがしら)司配となる。10代将軍徳川家治没後の東叡山の御霊屋御用,8年大火による禁裏・仙洞・女院御所・二条城の再建御用,寛政3年の婚礼用品御用などをつとめる。通称は藤兵衛。

堀山城(3代) ほり-やましろ

?-? 江戸時代前期の釜師(かまし)。
京都の鋳物師和田国次の次男。明暦2年(1656)2代堀山城の養子となり,天和(てんな)2年3代をつぐ。名は吉五郎。通称は弥助。号は浄珉。

堀山城(6代) ほり-やましろ

?-? 江戸時代中期の釜師(かまし)。
5代堀山城の子。延享(1744-48)のころ活躍。姓を堀から山城にかえる。以後,山城藤兵衛と称した。幼名は善太郎。

堀山城(9代) ほり-やましろ

?-? 江戸時代後期の釜師(かまし)。
嘉永(かえい)(1848-54)のころ活躍。門人に立松山城がいる。立松が9代をついだという説もある。通称は藤兵衛。

堀山城(7代) ほり-やましろ

?-? 江戸時代中期の釜師(かまし)。
天明2年(1782)江戸の鋳物師と合作した水盤を神田神社に奉納。通称は藤兵衛。

堀山城(4代) ほり-やましろ

?-? 江戸時代中期の釜師(かまし)。
正徳(しょうとく)2年(1712)病気のため隠居し,早世。通称は弥助。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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