日本歴史地名大系 「塩竈市」の解説 塩竈市しおがまし 面積:一八・三八平方キロ県の中央部、太平洋岸に位置し、もと宮城郡に所属。松島湾の支湾塩竈湾に面し、北から西は宮城郡利府(りふ)町、南は多賀城市・宮城郡七(しち)ヶ浜(はま)町に囲まれる中心部(近世の塩竈村)と、松島湾口を限る形で東西に並ぶ浦戸(うらと)諸島の桂(かつら)島・野々(のの)島・寒風沢(さぶさわ)島などからなる。中心部には祓(はらい)川(新河岸川)が東流し、ほぼ南北にJR仙石線・東北本線が走り、同じく海岸沿いに国道四五号が市街地を縫って走る。地名塩竈は古くから塩生産が行われていたことに由来し、「弘仁式」主税式に塩竈神が登場。現在の当市は県内屈指の港湾都市として、また国指定特別名勝松島の一角を占める観光都市として、さらに塩竈神社の門前町として発展している。〔原始・古代〕縄文時代の遺跡は多くないが、早期末から前期の船入島(ふないりじま)貝塚、前期から中期の桂島貝塚が有名。船入島出土の人骨は「松島人骨」として知られ、桂島出土の前期土器に「桂島式」の型式名が与えられ、標式となっている。一本松(いつぽんまつ)貝塚(現在は埋没)は晩期末の貝塚で同時期の製塩土器が出土、その上層に奈良時代末―平安時代初期の石組炉が発見されている。弥生時代の遺跡には表杉(おもてすぎ)ノ入(いり)の海食洞窟遺跡の崎山囲(さきやまかこい)貝塚があって、出土土器に「崎山囲式」の型式が与えられ標式となっている。古墳時代の高塚古墳はない。横穴古墳群が一本松・清水沢(しみずさわ)に存在した。八世紀前半に多賀城が創建され、塩竈はその国府の外港としての機能を果したと考えられ、旧塩竈村域にある香津(こうづ)の地名は「国府津」の名残といわれる。浦戸諸島には奈良・平安時代の製塩遺跡が多数あり、土器製塩が展開されていたことが知られるが、国府多賀城へも供給されていたであろう。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「塩竈市」の意味・わかりやすい解説 塩竈〔市〕しおがま 港名の場合は「塩釜」と書く。宮城県中部,松島湾の支湾塩釜湾にのぞむ市。多賀城市の北に接する。 1941年市制。かつては陸奥の国府多賀城の外港,のちに仙台藩の漁港として発展し,塩竈神社の門前町としても栄えた。明治以後は三陸沿岸の漁業基地となり,近年は貿易港の機能をもつ。練り製品,缶詰,冷凍製品,薫製品などの水産加工業が盛ん。松島湾観光の基地でもあり,陸奥一の宮の塩竈神社は海上安全,大漁,安産の神として,参拝者が多い。8月の塩竈みなと祭は有名。塩釜湾沿岸一帯は松島県立自然公園に属する。 JR東北本線が通り,仙石線と国道 45号線によって仙台市および石巻市と連絡する。面積 17.37km2。人口 5万2203(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by