焼成した煉瓦のことを,中国では塼(専,磚,甎とも書く)といい,また甓(へき)などともよぶ。古代から現代まで土木建築の基本材料として多方面に使われている。塼の出現以前に,日乾煉瓦が行われたことは,殷・周時代の建築址で確認されている。おそらく屋根瓦の出現がきっかけになって塼も焼かれるようになるのであろうが,実例が確認できるのは春秋時代からである。戦国時代の列国の宮殿址では,塼が多用されており,床敷きや排水溝に用いられている。秦・漢時代になると方塼,長方塼,空心塼,子母塼,楔形塼,画像塼など塼の基本形が出そろう。方塼は正方形の板状を呈し,表面に文様を型押しする場合が多い。床敷きや排水溝の底板として用いる。長方塼は原則として方塼の半分の大きさで,平積みや竪積みにして壁面を形成するため,文様は側面に型押しする。空心塼は粘土板を貼りあわせて中空の板や柱形にかたどった大型塼で,表面に篦描きや型押し文様をほどこす。建物の基壇や階段に使うほか,前漢代後半には墓専用の塼として中原地方で発達するが,後漢になるとすたれる。子母塼は方塼や長方塼の一種で,その両側に凹と凸部をつくりだし,塼と塼との接合をとくに強化するアーチ式天井などに用いる。楔形塼は長方塼の一端の幅を狭めた扇形の塼で,アーチ式やドーム式の天井をつくるのに用いる。画像塼は線刻や浮彫で塼に型押しして絵画を表し,現代のタイル壁画のようなもので,墓室壁を装飾するためにつくる。一般的には方塼や長方塼の表面に一枚一題の絵を描いており,日常生活が克明に描かれているため,古代の風俗や制度を考える重要な手がかりになっている。ときには,赤や白で着色している場合もあり,一枚一枚手で絵画を描くものもある。南北朝時代の宋・斉では,一幅の大画面を塼の側面の大きさに小さく分割し,これを一塼ごとに型押しし,墓室壁に積みあげていく画像塼が出現している。これは近世のタイル壁画ともいうべき照牆(しようしよう)の祖形ともいえよう。各種塼の製作法に関する文献記録でまとまりのあるのが,北宋の李誡が著した《営造法式》(1103)であり,そこでは用途に応じた〈塼作制度〉が詳しく述べられている。時期はやや下るが明の宋応星が著した《天工開物》(1637)にも塼の作り方について具体的な記述がある。
地下に埋没した古代建築の基壇や地下水道などでの塼築方法は,城郭の発掘調査によってうかがえるが,上部の構造での塼利用については容易にわからない。というのは,塼塔や寺観,宮殿などの上部構造をとどめる建築遺構は,中世以降のものに限られるからである。しかし,漢代以降,塼は墓の構造材として全国的に利用されており,形態,文様,構築法などの時代的な変遷を墓室の検討を通じてたどることが可能である(塼室墓)。塼に文様をほどこすのは原則的に型押しで,多量化を前提にするのであるが,中世以降になると,文様を一枚一枚彫刻しているものもみられる。文様は春秋戦国以来,漢代を通じて幾何学文,獣形文,文字図案,銭形文などが主流を占めているのであるが,南北朝時代以降になると,仏教の装飾である蓮華文や唐草文が進出し,隋・唐時代になると幾何学文などは影をひそめてしまう。
朝鮮では楽浪郡時代の遺跡から後漢~西晋の塼が発見され,東晋の年号銘を記す塼も知られている。三国時代の高句麗では,北魏系と思われる幾何学文の塼が作られている。百済では,南朝梁の濃厚な影響をうけた蓮華文や唐草文の塼が作られ,一種の画像塼とみられる扶余の窺岩面外里廃寺の各種文様塼は,百済独特の様式を形成している。統一新羅時代には,唐の影響をうけた華麗な文様塼が発達しており,慶州雁鴨池の宮殿に使われた宝相華文塼などは,量産化による退化現象が顕著な唐代の文様塼よりもすぐれた製品になっている。この時期の塼塔が各地にのこっており,新羅において大幅に塼が利用されている状況がうかがわれる。唐式の塼は,渤海の東京(とうけい)城にも伝えられている。ここでは,高句麗の伝統をうけつぐ軒瓦の文様とともに,唐式の蓮華文方塼が多く使われている。
日本には朝鮮から塼が伝えられた。奈良県小墾田宮跡(7世紀)から出土した蓮華文長方塼は百済系であり,福岡県の大宰府都府楼跡(8世紀)から出土する蓮華文様の塼は,明らかに新羅系とみられる。しかし,概して文様塼は少なく,無文塼のほうが一般的である。無文の方塼や長方塼は7,8世紀の古墳の床敷きや,宮殿・寺院の四半敷きの床や基壇などに用いられたが,墓室を塼で築いたり塼塔を建立した形跡はない。特殊な塼として水波文塼とよばれる緑釉をかけた塼が,奈良県川原寺,東大寺,平城京などで発見されている。これは蓮池の波をかたどったものらしく,画像塼の一種ともいうべき仏像を型押しした塼仏,あるいは天人や鳳凰文様を型押しした文様塼などとともに,仏殿内の荘厳に用いられたのであろう。
→煉瓦
執筆者:町田 章
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
中国で焼成される立方体あるいは直方体の煉瓦(れんが)で、専、甎、磚とも書く。立方体のものは方塼、直方体のものは条塼あるいは長方塼の名があり、内部が中空のものを空塼または坑塼という。黒色か灰色を呈し、空塼は中国では戦国時代から墓室の構築に用いられ、このような墓は塼室墓とよばれる。方塼は床に敷くほか、秦(しん)・漢代以降は表面に文字や文様を刻んで壁面に用いたものがあり、唐代には浮彫りによる蓮華(れんげ)文や宝相華(ほっそうげ)文などの装飾が施された画像塼が出現する。もっとも一般的なものは条塼で、前漢末から城壁・家屋・墓室の構築に用いられた。日本へは朝鮮から導入され、仏教建築の建立に伴い、基壇側面の化粧積みや床面に瓦(かわら)とともに利用された。これらのなかで壁面に用いたものとしては、奈良の岡寺出土の天人文塼・葡萄唐草(ぶどうからくさ)文塼・鳳凰(ほうおう)文塼が著名で、同じく川原(かわら)寺出土の緑釉(りょくゆう)波文塼は須弥壇(しゅみだん)上に蓮池(れんち)として敷かれたと考えられて注目される。
ほかに画像塼として塼仏がある。中国南北朝時代から三尊仏・五尊仏・千体仏などが制作されたが、日本では奈良の川原寺・橘(たちばな)寺、三重の夏身廃寺(なつみはいじ)出土の三尊仏や五尊仏が代表的遺例で、千体仏では独尊・四尊・十二尊の形式がみられる奈良の山田寺出土のものが名高い。とくに山田寺出土の千体仏は独尊のスタンプが押し並べられ、上に金箔(きんぱく)をはって壁面を華麗に飾ったものと推定されている。
[工藤圭章]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
磚・甎とも。粘土を型に入れて成形し,焼成した煉瓦のこと。中国では戦国時代に空心(くうしん)塼(中空の塼)が作られ,漢代以後,中実塼が使用されて現代に至る。墓室や城壁,建物の構築材として広く使用された。日本では飛鳥時代以後,主として寺院建築に使用し,宮殿や官衙(かんが)建築,まれに古墳にも使用した。長方形と方形のものがあり,文様で飾ったり,施釉(せゆう)のものもある。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…もっとも堅固なのは山海関から黄河に至る区間で,長城の外面は焼いて造ったうすねずみ色の煉瓦でおおわれている。いわゆる塼(せん)であるが,内部は粘土をつき固めた造り方である。八達嶺付近の長城は高さ約9m,幅は上部で約4.5m,底部で9mにおよび,上には鋸歯状の女牆(ひめがき)を設けて銃眼とし,約100mごとに墩台(とんだい)が置かれている。…
… 日本では,明治維新以来,熱心に煉瓦の製法が研究され,明治後期から大正時代には,きわめて上質の煉瓦(赤煉瓦)が産出されるようになったが,関東大震災(1923)以降の煉瓦造の衰退にともなって質的にも劣悪化し,耐火煉瓦を除いては,内外装用にしか使用できないものとなっている。煉瓦造建築【桐敷 真次郎】
[中国]
中国では煉瓦を塼(せん)と称し,その歴史は古く,日乾煉瓦は殷代の出土遺物があるほか,西周時代の文献に甓(へき)の名で見える。焼成した塼は戦国時代の宮殿に用いられており,漢代には数多くの塼造アーチ構造の墓が築かれ,その形状も中空の空心塼,床面に敷く文様を施した花塼,壁面を飾る大型の画像塼,枘(ほぞ)をつくり出した子母塼など多彩な類型が現れる。…
※「塼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新