日本歴史地名大系 「外山村」の解説
外山村
とびむら
きて、状流電の如し。是に由りて、長髄彦が軍卒、皆迷ひ眩えて、復力め戦はず。長髄は是邑の本の号なり。因りて亦以て人の名とす。皇軍の、鵄の瑞を得るに及りて、時人仍りて鵄邑と号く。今鳥見と云ふは、是訛れるなり」とみえる
とみえる
外山村
とやまむら
現赤泊村北部に位置する。標高六三六メートルの
外山村
そとやまむら
外山村
とやまむら
古くから砥石の産地で、砥石山とよばれたのが外山になったという。現砥部町の西部山地に位置し、西は現伊予市に連なる。北から西へ
伊予砥については、天平宝字四年(七六〇)六月二五日の正倉院文書に観世音菩薩像造立の料として「伊予砥三顆」がみえ、また「延喜式」(民部省)にも「砥一百八十顆」貢進の記事がある。
外山村
とやまむら
外山村
とやまむら
外山村
そとやまむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報