多太神社(読み)ただじんじゃ

精選版 日本国語大辞典 「多太神社」の意味・読み・例文・類語

ただ‐じんじゃ【多太神社】

  1. 石川県小松市上本折町にある神社。旧県社。主祭神は衝桙等乎而留比古命(つきほことおしるひこのみこと)仁徳天皇。武烈天皇五年の創建と伝える。寛弘五年(一〇〇八)舟津松ケ中原の八幡宮合併、多太八幡宮と呼ばれて武家信仰を集めた。「平家物語」によれば木曾義仲が蝶(朝)屋の庄や武具類を寄進したという。八幡さま。

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日本歴史地名大系 「多太神社」の解説

多太神社
ただじんじや

[現在地名]小松市上本折町

小松市旧市街南端付近に所在。多太八幡・八幡別宮とも称した。「延喜式」神名帳に能美のみ郡八座の一つとして多太神社がみえる。主祭神は衝桙等乎而留比古命・仁徳天皇、相殿神に応神天皇・神功皇后・比大神・蛭児命・軻遇突智神・大山咋命・継体天皇・素戔嗚命・水上大神。旧県社。社領として乃身のみ庄があった(能美郡の→能美庄。康和五年(一一〇三)六月一〇日の神祇官奏(朝野郡載)に、加賀国の三社の一つとして「多太神」とみえる。社伝では寛弘五年(一〇〇八)の花山法皇の遺勅により、小松多太神社に能美郡舟津松ふなづまつ中原なかはらの八幡宮を合祀し、以来多太八幡と称したという。鎮座地変遷伝承もなく、遅くとも室町時代中期にはすでに当地に鎮座していたと考えられる。

八幡別宮については加賀国府(現古府町付近)の南西郊にあたり小松東部丘陵北西端に位置する八幡やわた付近に鎮座していたとの説もある(加賀志徴)。八幡別宮神主橘成清の子と推定される八幡尚成は能美庄惣公文で(建武二年六月一九日「吉良省観代良信請文案」石清水文書)、八幡一分地頭とも称しており(元弘三年六月日「八幡尚成着到状」同文書)、八幡を名字の地とする在地武士であったことから、八幡別宮の八幡鎮座説も可能性のある説といえよう。「白山之記」の増補部分に「国之八社」の一にあげられた「八幡乃美」別宮は、遅くとも鎌倉前期頃までに山城石清水いわしみず八幡宮を勧請して成立したと推定される。


多太神社
おいだじんじや

[現在地名]御所市大字多田小字正神

多田おいだ集落の北西端に鎮座。俗に荘神しようがみ・正ノ宮の称を用いる。「延喜式」神名帳葛上かつじよう郡の「多太タタノ神社鍬靫」とされ、太田田根子おおたたねこ命を祭神とする。旧村社。「大和志料」には下鴨しもがも神社(鴨都波神社)を創祀した大賀茂津美おおかもつみ命が祖父太田田根子命を祀ると記す。


多太神社
たふとじんじや

[現在地名]川西市平野

平野ひらのに鎮座し、平野明神とも称する。旧郷社。「延喜式」神名帳に河辺かわべ郡七座としてみえる小社「多太タダノ神社」に比定される。祭神は日本武尊・大鷦鷯尊・伊弉諾尊伊弉冉尊。当地は古代の河辺大神おおむわ郷にあたり、「新撰姓氏録」摂津国神別にみえる神人氏の居住地と考えられ、本来はその祖神である大田田根子命、さらにはその五世の祖とされる大国主命を祀っていた可能性がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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