日本歴史地名大系 「多摩ニュータウン遺跡群」の解説
多摩ニュータウン遺跡群
たまにゆーたうんいせきぐん
東京都の南西部、多摩川中流域と神奈川県との都県境をなす
〔旧石器時代〕
多くは後期旧石器時代の遺跡であるが、流域面積の広い大栗川流域に比べて乞田川流域では遺跡が少ない。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
東京都の南西部、多摩川中流域と神奈川県との都県境をなす
多くは後期旧石器時代の遺跡であるが、流域面積の広い大栗川流域に比べて乞田川流域では遺跡が少ない。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
東京西部の多摩ニュータウン事業用地内にある遺跡群の総称。計画区域は多摩川右岸,多摩丘陵北西部の多摩,八王子,稲城,町田の4市にまたがり,東西約14km,南北2~4km,面積約3000haの広大な地域を占める。1965年以来,分布調査,発掘調査が継続的に実施され,先土器時代から縄文,弥生,古墳,歴史時代の遺跡約850ヵ所が確認され,遺跡群の実体が明らかになりつつある。それらを概観すると,先土器時代については資料が断片的で詳細は不明であるが,縄文時代以降になると遺跡数の増減などから遺跡群の動きにいくつかの画期のあったことが認められている。すなわち,遺跡数は縄文早期から前期末にかけて増加し一つのピークをつくるが,中期になると半数以下に急減し,対照的に大規模な集落遺跡が出現する。しかし,後期初頭になるとこの大規模な集落遺跡は姿を消し,遺跡数も極端に少なくなる。この時期を境に遺跡はほぼ皆無に近い状態になり古墳時代前半まで続くが,古墳時代後半から奈良時代になると再び居住の場となり,平安時代には丘陵内のいたるところで集落跡が発見されるようになる。奈良時代以降の動きについては,多摩川の対岸に位置する国府との関連が考えられている。遺跡群は以上のような展開をみせながら,やがて街道沿いの中近世農村集落の形成へとつながっていく。
執筆者:可児 通宏
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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