出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
群馬県高崎市吉井町池に所在する石碑。金井沢碑(かないざわひ)、山上碑(やまのうえひ)と並ぶ上野三碑(こうずけさんぴ)の一つで、日本三古碑の一つにも数えられる。高さ129センチメートル、幅69センチメートル、厚さ62センチメートルの方柱形の碑身に、幅95センチメートル、奥行90センチメートル、厚さ27センチメートルの笠石(かさいし)をのせたもので、漢文体6行80字の碑文中に、和銅(わどう)4年(711)3月に片岡(かたおか)・緑野(みどの)・甘良(から)3郡のうち300戸をもって多胡郡としたことが記されていることから多胡建郡碑ともよばれ、特別史跡に指定されている。近世に狩谷棭斎(かりやえきさい)、伴信友(ばんのぶとも)らによる紹介・研究が行われ、近代では黒板勝美(くろいたかつみ)、尾崎喜左雄(おざききさお)(1904―1978)らによって碑文の解読や考古学的調査が進められた。尾崎は文中の「羊」を新羅(しらぎ)系の渡来人の名とし、石碑はこの人物の建造になるものと考え、また碑の設計には唐尺を用い、碑身高が笠石幅の1.4倍であることから、碑身高を笠石幅のとしたことを推定した。
[久保哲三 2018年5月21日]
2017年(平成29)、多胡碑を含む「上野三碑」は、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の「世界の記憶」に登録された。
[編集部 2018年5月21日]
『尾崎喜左雄著『上野三碑の研究』(1980・尾崎先生著書刊行会)』
上野(こうずけ)三碑の一つ。711年(和銅4)の上野国多胡郡の新設を記した碑で,群馬県高崎市の旧吉井町池の字御門に所在する。牛臥(うしぶせ)山産出の砂岩を高さ126cm,幅60cmの柱状に切り出して造り,その上に中央を高くした一辺90cmの正方形をした笠石をのせる。碑文は6行80字が楷書体で鐫刻(せんこく)されており,《続日本紀》和銅4年3月辛亥(6日)条の〈上野国甘良郡織裳(おりも)・韓級(からしな)・矢田・大家,緑野郡武美,片岡郡山等の六郷をさきて別に多胡郡を置く〉に対応する内容をもつ。つまり既存の3郡から6郷300戸を分割して,新たに多胡郡が設置されたことを弁官の出した官符に拠って記したものである。この碑の存在は連歌師宗長の著した《東路の津登(つと)》(1509)に〈上野国多胡郡弁官府碑〉とあるのが史料上の初見で,江戸時代以降は多くの考証家や研究者の関心を集め,また書道史上でも奈良時代初めの金石文として珍重されて,清の楊守敬《楷法溯源》(1877)により国外へも紹介されている。
碑文中の〈郡成給羊〉については古くから異説が出され,なかんずく〈羊〉をめぐっては動物説,方角説,略字説があるが,現在では郡司に任命された人物の名とする見解が有力である。碑の所在する旧吉井町は,766年(天平神護2)に新羅人子午足等193人に吉井連の姓が与えられていることから新羅系渡来集団の居住する地であったとみられる。またこの南部の丘陵からは古墳の石材にも使用されている牛臥砂岩が産出し,須恵器窯,瓦窯も多数発見されている。地元には古くから〈羊大夫〉伝説があり,この碑も〈羊さま〉と呼ばれて崇敬をうけている。1945年の敗戦直後には国外への持出しを恐れ,付近の畑に隠し埋める工作もなされた。特別史跡。
執筆者:前沢 和之
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…南部を上信越自動車道が走り,吉井インターチェンジがある。鏑川南岸にある711年(和銅4)建立の多胡碑は,上野(こうずけ)碑の一つで国の特別史跡に指定されている。【千葉 立也】。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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