洋画家。徳島に生まれる。1880年上京し90年大野幸彦に師事,大野没後は原田直次郎の鍾美館に学ぶ。91年来日した英人画家ジョン・バーレーJohn Barleyの水彩画に感銘し,水彩画専門を決意する。97年渡米しイェール大学付属美術学校に入学,翌年英国へ渡り99年帰国,同年第4回白馬会展に滞欧作を出品,白馬会会員となる。1901年から翌年まで再渡欧,02年の第7回白馬会展に代表作《雨のノートルダム》などを発表する。翌年からは《中学世界》などの雑誌口絵も描いたが,このころから隆盛した水彩画の中心作家となり,05年《水彩画手引》を刊行する。文展には第1回から出品し,第2回展《初冬》,第3回展《湯ヶ島》でそれぞれ3等賞,第9回展《冬の小川》で2等賞を受け,以後無鑑査となり,25年以降しばしば帝展審査員もつとめた。この間,1912年には中沢弘光らと光風会を創立する。48年日本芸術院恩賜賞を受賞。著書に《思ひ出つるまゝ》などがある。
執筆者:三輪 英夫
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明治〜昭和期の洋画家
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洋画家。徳島市生まれ。1890年(明治23)曽山幸彦(そやまゆきひこ)の画塾に入り、師の没後原田直次郎の鍾美(しょうび)館に学ぶ。97年渡米してエール大学付属美術学校に学び、ヨーロッパを回って99年に帰国。明治美術会に出品ののち、白馬(はくば)会会員となる。以後しばしば欧米に写生旅行を行った。早くから水彩画に専念し、その先駆者の1人として知られる。文展にも水彩画を出品し、第2回、第3回展で三等賞を受ける。1912年同志と光風会を創立。24年(大正13)サロン・ドートンヌに出品のほか、26年以後帝展、新文展の審査員となり、51年(昭和26)日本芸術院恩賜賞を受けた。代表作は『雨後のノートルダム』『上州妙義山』。
[小倉忠夫]
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…美術団体。黒田清輝を中心に結ばれた外光派の洋画団体白馬会が1911年(明治44)に解散すると,その有力メンバーであった中沢弘光,山本森之助,三宅克己,杉浦非水,小林鐘吉,跡見泰,岡野栄を発起人として翌12年3月に結成され,その年の6月,上野竹之台で第1回展覧会を開催した。当時,印象派以後の新しい美術思潮の刺激を受け,個性的な表現を唱える若い層が増大していたが,この会に拠(よ)る画家たちは黒田の穏健な画風を引き継ぎ,官展系の団体として結束を崩さなかった。…
※「三宅克己」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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