福地桜痴(源一郎)が仲間の戯作者条野伝平(山々亭有人),出版業者広岡幸助,西田伝助の助力を得て1868年(明治1)閏4月3日に刊行した新聞。発行所は江湖新聞雑報局(無鳥郷雑報局)で,茅町にあった福地の自宅である。毎号の紙面は半紙二つ切木版10~12枚で,3~4日ごとに発行し,値段は8分。絵入り,総かな付き。童幼婦女にも読ませようとの意図はあったが,内外ニュース,上書建白,投書など政論が主で,旧幕臣を核とする読者層の要望にこたえ好評だった。国内ニュースはうわさ,風聞の類が多く,反維新政府の心情で潤色されていた。福地は第16集(5月5日)に〈強弱論〉を書き,維新の名目はりっぱだが,実態は薩長専制であり,〈実〉を〈名〉に近づける運動は当然,と説いた(巧妙な論理を操った新聞政論の原型である)。5月23日,福地は糺問所に連行され,版木は没収。新聞は5月22日(22号)で発行禁止となる。新政府は同年6月8日,太政官布告451号で,官許のない新聞発行を禁止,江戸の新聞はすべて姿を消した。
執筆者:香内 三郎
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1868年(慶応4)江戸で発刊された佐幕派の新聞。旧暦閏(うるう)4月3日福地源一郎(桜痴(おうち))が、条野伝平、西田伝助、広岡幸助らとともに創刊。半紙二つ折、十数枚をとじた冊子型の新聞で、ほぼ隔日に発行された。国内情勢のほか、当代一流の知識人福地が、新政府の政体などについて論じていたため、この新聞は、柳河春三(やながわしゅんさん)の『中外新聞』と並び、内容、影響力ともとくに優れていた。ただ福地は薩長(さっちょう)諸藩に反感をもち、官軍を揶揄(やゆ)的に扱っていたうえ、第16集に掲載した「強弱論」で、薩長を足利(あしかが)将軍に対する山名、細川に擬したため新政府ににらまれ、官軍が江戸に入ると糾問所に引き立てられ、版木(はんぎ)は没収、新聞は禁止された。このため『江湖新聞』は5月22日付け第22集で廃刊となり、ほかの江戸の民間新聞もすべて発行を止められることになった。福地は新聞記者の筆禍事件第一号になったわけである。
[春原昭彦]
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