大区小区(読み)だいくしょうく

改訂新版 世界大百科事典 「大区小区」の意味・わかりやすい解説

大区・小区 (だいくしょうく)

廃藩置県後,政府によって新しく定められた地方行政制度。1871年(明治4)4月に出された戸籍法が,戸籍事務遂行のため新しく区を設定し,戸籍吏として戸長・副戸長をおくことを命じたのが初めである。ついで翌年,戸長・副戸長と旧町村役人(名主庄屋など)との間におこる権限競合に対処するため,旧町村役人の廃止と区制による統一を命ずる布告が出され,大区・小区制は形をととのえた。大区・小区の規模や行政吏の名称は府知事・県令の裁量にゆだねられ,各府県で異なったが,数ヵ町村をあわせて小区をつくり,数ヵ小区をあわせて大区とし,大区に区長,小区に戸長をおくのが一般的であった。旧体制を末端から否定していくことをめざした人為的な行政区域づくりで,旧町村は否定され,区長・戸長は新政府への忠実さを基準に官選され官吏に準ずる扱いをうけた。地域の有力者が任命された例が多いが,大区・小区の規模の大きさは住民とのつながりを希薄にし,行政吏の性格を強めた。住民の政治参加を排した統治方式下での過酷な中央集権政策の遂行は,区長・戸長への住民の反発をうみ,農民騒擾(そうじよう)の際の襲撃対象となった。町村はこの制度下で行政単位としての地位を失ったが,行政の浸透には町村の利用が不可欠であったため,町村を組として組頭をおき行政補助機能を営ませた例が多い。大区・小区制の官僚的統治は住民の反抗を誘発したため,1878年の三新法発布により廃止された。
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世界大百科事典(旧版)内の大区小区の言及

【行政村】より

…明治維新から1889年の町村制施行までの間に,これら旧村は強力な合併政策を通じて新たな行政単位に作り変えられた。明治政府は,1872年(明治5),末端行政区画として大区・小区制を採用し,戸長を配して戸籍制度による人民の掌握にあたった。大区・小区は旧村を包括するものであり,この下で旧村の合併が進んだ。…

【区長】より

…日本の地方制度に区長という職が登場したのは明治初期のことである。明治政府は,1872年(明治5)に自然村の存立を無視して,末端行政区画として大区・小区を設けた。大区に区長,小区に副区長ないしは戸長を配した。…

【組合村】より

…この組合村体制は幕府の崩壊まで存続し,関東農村支配の重要な拠点となったのである。なお地域によってはこの組合村の組織が維新政府のもとで,そのまま大区・小区制に引き継がれていった。【森 安彦】。…

【市町村合併】より

…市町村合併は,近代的地方制度の定礎期と第2次大戦後の経済復興から高度経済成長のスタート期を二大ピークとしている。明治政府は1872年に旧来の村落共同体秩序による自然村の存在を無視して大区・小区なる地方行政区画を設置した。この下において,73年の地租改正に関連して町村の合併が行われている。…

【法制史】より

…廃藩置県(1871),士族の秩禄処分(1870以降),華士族平民間の通婚の自由(1871),関所廃止(1869),田畑永代売買の承認(1872)などがその例である。旧体制に代わる新しい中央集権的な統治機構は,1871年の太政官制の整備をはじめ,同年の府県官制,県治条例,72年の大区・小区制,78年の郡区町村編制法による地方制度の整備,1872年以降の裁判所の設置などによって構築された。新しい統治機構を守る軍事・警察機構は,1872年の陸海軍両省の設置と73年の徴兵令の制定,73年の内務省警保寮設置,74年の警視庁設置によって整備された。…

※「大区小区」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」