大宝城跡(読み)だいほうじようあと

日本歴史地名大系 「大宝城跡」の解説

大宝城跡
だいほうじようあと

[現在地名]下妻市大宝

大宝沼と旧騰波江とばのえに挟まれた台地上にある。広さは東西二八八メートル・南北五七六メートル。東・西・北は大宝沼と旧騰波江の湿原に臨む断崖で自然の防衛線であり、南側に土塁と空堀を巡らす。国指定史跡

平安末期に下妻広幹、鎌倉初期に小山朝政が居城にしたと伝え(新編常陸国誌)、南北朝争乱期には小山氏流の下妻政泰が南朝方として在城した。興国二年(一三四一)には興良親王を奉じた春日顕国が入城、北畠親房在城のせき(現真壁郡関城町)とともに小田おだ(現筑波郡筑波町)に次ぐ南朝の拠点として、以後二年間北朝方の高師冬らの攻撃を受け、同四年一一月一二日に落城し、春日顕国らは城を逃れたが、下妻政泰は死亡した(新編常陸国誌)


大宝城跡
だいほうじようあと

[現在地名]玉之浦町大宝郷

たち(一二〇メートル)に築かれた中世の城跡。宇久氏の一族玉之浦氏の玉之浦城の支城とされ、永正五年(一五〇八)玉之浦納が宇久氏惣領の宇久囲を廃して勢力を拡大するなかで築城したという(五島近古年代記・公譜別録)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「大宝城跡」の解説

だいほうじょうあと【大宝城跡】


茨城県下妻市大宝にある中世の城跡。周囲を水田に取り囲まれた岬状の台地の北端に位置し、水田はかつての大宝沼の名残。中世の城郭(じょうかく)遺構としてだけではなく、南北朝時代の古戦場としても知られることから、1934年(昭和9)に国の史跡に指定された。1981年(昭和56)以来史跡の現状変更申請にともなう遺構確認のため発掘調査が行われ、堀や井戸跡なども検出。城跡は現在、大宝八幡宮とその門前とによって占められ、残存する遺構は少ないが、指定範囲全体の面積は水田も含め約196万m2に及び城跡の面積はそのうち10万7000m2。この城と北の関城とは沼を挟んで2.5kmの距離にあり、合戦のときには水陸の交通手段によって支えあいながら防戦したといわれている。関東鉄道常総線大宝駅から徒歩約5分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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