明治時代の陸軍軍人。嘉永(かえい)元年11月11日薩摩(さつま)国(鹿児島県)に生まれる。1868年(明治1)戊辰戦争(ぼしんせんそう)に薩摩藩一〇番隊小頭(こがしら)として従軍。1871年御親兵として政府に出仕、陸軍中尉。1884年陸軍卿(りくぐんきょう)大山巌(おおやまいわお)の随員として欧米の兵制を視察。1885年陸軍少将、参謀次長。1886年ふたたび渡欧して、おもにドイツの参謀本部について研究。1888年帰国後、陸軍軍制をフランス式からドイツ式に改めるのに参画、参謀本部の地位を確立した。1889年ふたたび参謀次長。1890年陸軍中将。1894年日清(にっしん)開戦に主導的役割を果たし、大本営陸軍参謀として作戦指導にあたった。1895年子爵。1898年陸軍大将、参謀総長。明治32年5月11日死去。
[毛利敏彦]
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明治期の陸軍軍人。日清戦争時の参謀次長として陸軍の作戦計画の中心人物。薩摩藩士川上伝左衛門の子で戊辰戦争に参加後,親兵として上京する。西南戦争で歩兵13連隊長心得として熊本城に籠城。1884年大山巌陸軍卿の渡欧に随行し,帰国後,少将,参謀本部次長となる。86年ドイツ留学で軍事研究をし,89年参謀次長,翌年中将。軍制改革にあたっては,軍政面の桂太郎陸軍次官と軍令面の川上と並び称せられ,軍令系統の機能と権限の充実に努めた。日清戦争をみずから築き上げた参謀本部をひきいて戦った。戦後子爵,98年参謀総長,大将,対ロシア戦争準備に従事中に病没。日清戦争の主戦派として有名。日本陸軍に初めて近代的な戦略を導入した指導者であった。
執筆者:大江 志乃夫
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