日本歴史地名大系 「大庭郷」の解説 大庭郷おおばごう 岡山県:美作国大庭郡大庭郷「和名抄」諸本に訓はないが、郡名と同訓であったろう。旭川の支流目木(めき)川下流域の沖積地を中心とする地域、現真庭(まにわ)郡落合(おちあい)町大庭・久世(くせ)町目木一帯と考えられる。久世町三崎(みさき)の目木川右岸段丘上に白鳳時代創建の五反(ごたん)廃寺がある。「続日本紀」天平神護二年(七六六)一二月二九日条、同書神護景雲二年(七六八)五月三日条にみえる大庭郡の豪族白猪臣(大庭臣)氏の氏寺との説もある(久世町史)。また白猪臣や五反廃寺などを根拠に、「日本書紀」欽明天皇一六年七月四日条以下にみえる白猪(しらい)屯倉を当郷付近に比定する見解(「大日本地名辞書」など)が有力である。 大庭郷おおにわごう 岐阜県:美濃国石津郡大庭郷「和名抄」所載の郷。通例によりオオニワとよむが、相模国高座郡・但馬国二方郡の同名郷の「和名抄」東急本の訓注「於保无波」「於保無波」によると、オオバに変わっていたかもしれない。「延喜式」神名帳に載る多藝(たぎ)郡「大神(オホムワノ)神社」は現養老(ようろう)郡上石津町宮(みや)にある大神(おおみわ)神社にあたるとされる。当郷の訓がオオミワの転訛したものとすれば、同社は当郷内にあったとして多良(たら)村(現上石津町)一帯を当郷に比定する説がある(濃飛両国通史・岐阜県史)。 大庭郷おおむばごう 兵庫県:但馬国二方郡大庭郷「和名抄」所載の郷。同書東急本に「於保無波」の訓がある。郷域は現浜坂(はまさか)町の北西部で、日本海に面した芦屋(あしや)・諸寄(もろよせ)・釜屋(かまや)・居組(いぐみ)の諸地域であろう。諸寄の浜はその優美さが古くから都人に知られ、「雪の白浜」の美称で歌枕となり、「枕草子」の「浜は」の段にも「もろよせの浜」があげられている。 大庭郷おおばごう 神奈川県:相模国高座郡大庭郷「和名抄」高山寺本・東急本ともに「大」と記し、「於保无波」と訓を付す。「延喜式」神名帳に載せる「大庭(オホハノ)神社」は当郷に鎮座した。一二世紀初め平景正(鎌倉権五郎景正)が大庭郷付近一帯を開発して伊勢神宮に寄進し、大庭御厨とした(保延七年六月日「相模国司解案」県史一)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by