大日向村(読み)おおひなたむら

日本歴史地名大系 「大日向村」の解説

大日向村
おおひなたむら

[現在地名]佐久町大字大日向

関東山系の十石じつこく峠付近に源を発して西北流して千曲川に流入する抜井ぬくい川の中上流の谷間に所在する村。

谷の中央を抜井川に沿って武州道(現国道二九九号)が通じ、上州山中谷さんちゆうやつを経て、藤岡ふじおか(現群馬県)・秩父方面に達する。また武州道から分れて矢沢やざわ峠・大上おおかみ峠によって上州南牧谷の熊倉なんもくだにのくまくらに通じる道もある。

集落は武州道に沿って下川原しもがわら本郷ほんごう平川原ひらがわら・矢沢・宿渡しゆくど刈又かりまた古谷こやの順に標高八〇〇―九四〇メートルの間に約六・二キロにわたって分布している。

西は上海瀬かみかいぜ村境三味が渕さみがふちの狭隘部から、東は十石峠頂上に至って上野国多野たの郡に境し、南は茂来もらい(一七一七・八メートル)四方原よもがはら(一六三一・六メートル)をもって小海こうみ(現小海町)北相木きたあいき(現北相木村)と、北は山嶺をもって余地よじ村と境する。

本郷の諏訪神社の北方、台地上の中居なかいは武田氏の部将小幡山城守の拠守した所と伝え、神籬の古株が残存し、付近に寺沢てらさわ御堂平みどうだいらの地名がある。ここから抜井川対岸の段丘上に大涯おおがけ(矢田城)跡がある(→館氏館跡

建武二年(一三三五)山城国大徳寺領信州佐久郡伴野庄の雑掌水沼実真が、同庄の年貢員数を大徳寺に注進した「伴野庄郷々村々御年貢存知分事」(大徳寺文書)に「大日向田村佃無申 百貫文」とある。

諏訪神社所蔵の銅製鰐口の表陰刻銘に「大日本国信州佐久郡伴野庄大日向村奉懸新海大明神御宝殿 鰐口一、本願檀那小名七郎右衛門 永正十二二丑美景十五日」とある。


大日向村
おおひなたむら

[現在地名]南牧村大日向

南牧川沿いに位置し、東は岩戸いわと村、南東桧沢ひさわ村、南は大仁田おおにた村、西は六車むくるま村に接する。南牧川右岸を南牧道が通る。近世はおおむね幕府領。寛文郷帳には元禄郷帳で枝村と記す日向雨沢ひなたあめざわ村・日影雨沢ひかげあめざわ村とともにみえ、三ヵ村高総計は一二八石余ですべて畑方。延宝六年(一六七八)検地では大日向村のみがみえ、総反別三五町余・村高一八二石余、耕地はすべて畑方で、「大地ハ石入真土少々、多ハ赤野土に御座候、信州に続申候故寒さ強く御座候、暑ハ山方ニ御座候故よわく御座候」とあり、畑作物は麦・稗・粟・大根・苅大豆など、農間渡世は夏絹少々と、一〇月より二、三月までの紙漉で、紙漉舟五五を所持し、紙舟役永二貫七六〇文を納めていた(享保五年「村明細帳」小須田文書)


大日向村
おおひなたむら

[現在地名]北御牧村大日向

東は御牧原みまきがはら台地、西には八重原やえばら台地が迫る鹿曲かくま川の谷あいにある村で、上流に下之城しものじよう村、下流に島川原しまがわら村があり、現北御牧きたみまき村の中心地域。

古代より東信濃地方に繁栄した望月氏の支配圏内にあり、天正一〇年(一五八二)三月武田氏の下にあった望月印月斎(一峯)宛行状(村田文書)に「就于今度奉公、大日向夫地下共ニ出置候、(中略)村田但馬守殿」とみえる。望月印月斎は同年六月以降徳川家康麾下の依田信蕃に降るが、村内観音寺境内には印月斎の逆修碑とも伝えられる(長野県町村誌)古碑を残す。


大日向村
おおひなたむら

[現在地名]生坂村大日向

松本藩領安曇あずみ郡池田組に属した村で、南は草尾くさお村、東はさい川を隔てて下生坂村に接する。東面した緩い傾斜の村である。

天正検地では二〇五石二斗七升三合とあり、「信府統記」には享保九年(一七二四)当時の石高四〇七石九合七勺とある。田五石六斗三合七勺、畑三五四石一斗六升二合九勺で、畑地開発による村高の増加を示す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「大日向村」の解説

大日向村

1940年公開の日本映画。監督:豊田四郎原作和田伝による同名小説、脚本八木隆一郎撮影小原譲治出演河原崎長十郎伊藤智子中村翫右衛門、杉村春子ほか。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

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