生坂村(読み)いくさかむら

日本歴史地名大系 「生坂村」の解説

生坂村
いくさかむら

[現在地名]倉敷市生坂・西坂にしざか

三田みつだ村の西に位置し、西部枝村西坂がある。西坂を縦断し、北西西郡にしごおり(現都窪郡山手村)へ越える峠は水分れ乢みずわかれたわと称されていた(備中誌)。「備中誌」は、平田ひらた村に地名の残る皇太后宮職掌の氏人に生部臣がいることから、「古しへ阿知郷の内、生部てふ地の坂有しより自ら生坂といひならわしたるもの」と推論し、西坂についても、生坂より西の「山添なる処」から生れたとする。殿下渡領の生坂庄は当地一帯に比定され、正応三年(一二九〇)例の宝帳布所進庄目録(近衛家文書)に「一段 生坂」とみえ、嘉元三年(一三〇五)頃と推定される摂渡庄目録(九条家文書)には氏院領として田一七町二四〇歩・畠三町四反六〇歩が記され、舞人忠有が「法性寺舞装束料所」として知行していた。


生坂村
いくさかむら

面積:三九・二五平方キロ

さい川の両岸に細長く開けた村で、松本平での標高は最も低く四六〇メートル、冬季の気温は最も高い。第三紀水成岩を基盤とする山地で、南は現明科あかしな町、東は坂北さかきた村、北は更級さらしな大岡おおおか村、西は北安曇きたあずみ池田いけだ町に接する。古代以来松本平から北信地方に通じる道がこの沿岸にもあったことが、古代遺跡や古代遺物の発見によって知られる。天保三年(一八三二)以来松本から上水内かみみのち郡の現信州新町しんしゆうしんまちまで犀川通船が明治三〇年代まで開通していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「生坂村」の意味・わかりやすい解説

生坂〔村〕
いくさか

長野県中部,筑摩山地の西部にある村。 1957年広津村の一部と合体。同年陸郷村の一部を編入。村名は生坂煙草が有名であったことによる。犀川に沿って国道 19号線が走り,狭長な平地があるほかは急傾斜の畑地や山地が多い。かつてはタバコ栽培や養蚕が主産業であったが,米作と果樹栽培に移行した。山清路は峡谷美で知られ,付近は聖山高原県立自然公園に属する。面積 39.05km2人口 1639(2020)。

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