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大村由己 おおむらゆうこ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

大村由己
おおむらゆうこ

[生]天文5(1536)?
[没]慶長1(1596).9.6. 大坂
安土桃山時代の文学者。号,梅庵,藻虫斎。播磨国三木の人。相国寺の仁如集堯に漢学を学び,古典,歌学にも造詣が深かった。大坂天満宮に住し,豊臣秀吉に御伽 (おとぎ) 衆として仕え,秀吉の事績を軍記物『播州征伐記』『惟任退治記』『柴田退治記』や『聚楽行幸記』など (まとめて『天正記』ともいう) に書き,また謡曲 (太閤能) ,幸若舞曲などに脚色した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

大村由己 おおむら-ゆうこ

?-1596 織豊時代の軍記作者。
漢詩,和歌,連歌にもすぐれ,天正(てんしょう)8年(1580)ごろには豊臣秀吉の御伽衆(おとぎしゅう)だった。秀吉の事績をえがいた「天正記」の作者で,新作能の詞章もかいた。10年からは大坂天満宮(てんまんぐう)別当。法眼。文禄(ぶんろく)5年5月7日死去。享年61歳説がある。播磨(はりま)(兵庫県)出身。号は梅庵,藻虫斎。

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朝日日本歴史人物事典の解説

大村由己

没年:慶長1.5.7(1596.6.2)
生年:天文5頃?(1536)
安土桃山時代の文化人。播磨国三木(三木市)の出身。梅庵と号す。天正8(1580)年ごろには豊臣秀吉の御伽衆(文化的ブレーン)であった。また天正10年から没するまで大坂天満宮の別当を勤める。活動は多方面にわたり,漢詩,和歌,連歌,聯句,俳諧,狂歌の作品のほか,秀吉の武勲を描く軍記物(『天正記』と総称される)を数編著し,ときにはそれを自ら語って聞かせたり(『宇野主水日記』天正13.7.10条),秀吉の事績を題材にした謡曲や幸若舞曲の詞章を書いたり,と主君のパフォーマンス好きに迎合した作品も残している。しかし一方で,同郷の藤原惺窩に師と仰がれ,朝鮮から日本に略奪された文物(特に書籍)を徳川家康に託して散佚を防ぐなど,江戸時代の学問の発展に貢献したという面も見逃せない。<参考文献>小高敏郎『近世初期文壇の研究』,庵逧巌「梅庵由己伝補遺」(『山梨大学教育学部研究報告』28巻)

(堀川貴司)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

おおむらゆうこ【大村由己】

?‐1596(慶長1)
安土桃山時代の儒僧,軍記作者。豊臣秀吉の御伽衆。梅庵,藻虫斎と号した。摂津中島天満宮の神官であったが,禅・外典の学を修め歌道を巧みにしたことから,その学殖を買われて秀吉に近侍し,山科言経,藤原惺窩ら当時第一流の文化人と親交を結んだ。代表的著作は,秀吉の功業を記した《天正記》(《秀吉事記》)であり,このうち《播磨別所記》《惟任(これとう)謀反記》などの8種が現存する。また,新作能の詞章として《高野参詣》などがある。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

大村由己
おおむらゆうこ
(?―1596)

安土桃山時代の儒僧。軍記作者。豊臣秀吉の御伽衆(おとぎしゅう)。号は梅庵(ばいあん)、また藻虫斎(そうちゅうさい)。播磨国(はりまのくに)三木の出身。禅をよくし和歌・連歌に巧みで外典(げてん)に通じ、大坂中島天満宮の社僧を務めながら秀吉に近侍、その文才と学殖を愛され、天下統合過程の諸事件を軍記や新作能(しんさくのう)詞章につくった。山科言経(やましなときつね)、藤原惺窩(せいか)、里村紹巴(さとむらじょうは)らと交流があり、文禄の役には名護屋(なごや)まで供をしたが、帰洛後は病気がちで活動はにぶった。主要な作品は秀吉の生涯を描いた『天正記(てんしょうき)』で、『播磨別所記』『柴田合戦記』『関白任官記』『紀州御発向記(ごはっこうき)』『四国御発向并北国御動座記(ごどうざき)』『九州御動座記』『聚楽行幸記(じゅらくぎょうこうき)』『小田原御陣』が現存、新作能の詞章に『高野参詣』などがある。[朝尾直弘]
『桑田忠親著『豊太閤伝記物語の研究』(1940・中文館書店) ▽小高敏郎著『近世初期文壇の研究』(1964・明治書院)』

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世界大百科事典内の大村由己の言及

【狂歌】より

…近世は京都中心の前期,大坂中心の中期,江戸中心の後期に分けられる。安土桃山時代の狂歌作者には,南禅寺の住持にまでなった禅僧で《詠百首狂歌》の作者雄長老,当代歌学の権威細川幽斎,碁の名人本因坊算砂,豊臣秀吉の御伽衆(おとぎしゆう)大村由己,狂歌百首をのこした聖護院道増,《醒睡笑》の作者で浄土宗誓願寺の住職安楽庵策伝,公家の烏丸光広らがあり,それぞれの道の第一級の人々が余技として狂歌を楽しんだ。寛永以後は貞門俳人が中心で,松永貞徳,斎藤徳元,半井卜養,池田正式(まさのり),石田未得,高瀬梅盛らにまとまった作品があり,俳諧点取りの奥書に狂歌が応酬されていたりする。…

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