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彦根城 ひこねじょう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

彦根城
ひこねじょう

別名,金亀城。滋賀県彦根市にある平山城。井伊氏の居城。慶長8 (1603) 年井伊直勝が遺領を継ぐと翌年築城に着工し,元和8 (22) 年直孝が全工事を完成した。彦根山上に本丸,西の丸,鐘の丸,山下に二の丸三の丸をおき,3方は琵琶湖にのぞみ,南東に3重の堀をめぐらし,周囲約 4kmの規模をもつ。

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デジタル大辞泉の解説

ひこね‐じょう〔‐ジヤウ〕【彦根城】

彦根市にある旧彦根藩の城。慶長8年(1603)井伊直勝が築城を始め、元和8年(1622)直孝の代に完成。天守閣・天秤櫓(てんびんやぐら)・三重櫓・太鼓門などが現存。天守閣と附櫓および多聞櫓は国宝。金亀(こんき)城。

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百科事典マイペディアの解説

彦根城【ひこねじょう】

滋賀県彦根市金亀(こんき)町にある城。彦根藩井伊氏の居城。特別史跡。井伊直勝(直継)が1603年着工,1606年に本丸と天守が成り,1622年直孝によって完成。
→関連項目井伊氏彦根[市]平山城

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世界遺産詳解の解説

ひこねじょう【彦根城】

1992年に日本の世界遺産暫定リストに記載された城郭。彦根城は、1622年に完成し、徳川家譜代の井伊氏35万石の居城とされた。城郭建築最盛期の17世紀初頭の遺産であり、明治時代に入り、彦根城も廃城が決定していたが破却を逃れた。その理由として、明治天皇が城の保存を命じたという説などがある。築城以来5回の大改修が行われ、直近の改修は1996年、天守の屋根瓦の吹き替えと白壁の塗り替えが行われた。城主の居室部分も含め城郭の全体像が良好に保存されており、その美しさには定評がある。松本城、犬山城、姫路城と並んで彦根城の天守は国宝に指定されている。天守をはじめ二重の濠や石垣、城壁など、世界的にも高い評価を得ている日本の城郭建築の粋といえるものである。

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世界大百科事典 第2版の解説

ひこねじょう【彦根城】

琵琶湖東岸の要衝である彦根は,石田三成の築いた佐和山城があったが,関ヶ原の戦(1600)後,徳川譜代大名の筆頭井伊氏がこの地に京都・大坂への抑えとして封じられ,佐和山西方に位置を移して築城された。比高50mの山上に本丸,西の丸,鐘の丸,山下に御殿,二の丸を配し,水堀は琵琶湖に通じていた。石垣に用いた石は,佐和山,安土,長浜,大津など周辺の古城から運ばれたと伝える。現存する天守(国宝)は京極高次の大津城五重天守を移し,三重に改めたもの。

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大辞林 第三版の解説

ひこねじょう【彦根城】

滋賀県彦根市にある平山城。慶長年間(1596~1615)、井伊直勝が起工し、元和年間(1615~1624)直孝の代に完成。現存する天守は国宝。

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日本の城がわかる事典の解説

ひこねじょう【彦根城】

滋賀県彦根市にあった平山城(ひらやまじろ)。琵琶湖畔の小高い独立丘陵である彦根山(金亀山、標高136m)を中心につくられ、江戸時代には彦根藩の藩庁が置かれ、譜代大名の井伊氏14代が居城とした城である。城郭は国の特別史跡、天守、附櫓(つけやぐら)、多聞櫓は国宝に指定され、城北側の玄宮園・楽々園(大名庭園)は国指定の名勝となっている。安土桃山時代から江戸時代に建造された天守のうち、12ヵ所の天守が現存するが、彦根城の天守はその一つで、さらに国宝に指定されている天守を持つ4つの城のうちの一つである。日本城郭協会選定による「日本100名城」の一つ。1600年(慶長5)の関ヶ原の戦いで活躍した徳川四天王の一人の井伊直政は、戦後、敵将石田三成の居城の佐和山城(彦根市)と近江国北東部の領地を与えられ、彦根藩の初代藩主となった。直政は新たな居城の築城を計画したが、関ヶ原の戦いで負った戦傷を悪化させて1602年(慶長7)に死去した。家督を継いだ井伊直継は父直政の遺志を継いで、1603年(慶長8)に築城を開始した。その工事は、幕府から尾張藩や越前藩など7ヵ国12大名(15大名とも)が手伝いを命じられる天下普請で、着工の3年後に天守が完成して直継が入城。その後も彦根藩が独自に築城を継続させ、1622年(元和8)にすべての工事が完了した。彦根城の築城にあたっては、大津城(大津市)の天守、佐和山城の佐和口多門櫓(非現存)と太鼓櫓門、小谷城(長浜市)の西の丸三重櫓のほか、観音寺城(近江八幡市)の建造物などが移築され、また、数多くの近隣の城の木材や石材などが使われた。幕府大老となった第13代藩主の井伊直弼(なおすけ)の時代の1854年(安政1)、天秤櫓の大修理が行われ、その際、石垣の半分の積み直しが行われ、築城当初からのごぼう積みの石積みと、新たに積み直された落とし積みの石垣が混在している。明治維新後、廃城令によって日本全国の多くの城が破却・解体処分となる中、彦根城は破却を免れたため、国宝に指定された天守、附櫓、多聞櫓をはじめ、安土桃山時代から江戸時代にかけてつくられた5棟の櫓門、重要文化財指定の馬屋など貴重な建造物が残っている。また、同市の市制50周年を記念して御殿が復元され、彦根城博物館として江戸時代の調度や武具などが展示されている。JR東海道本線(琵琶湖線)彦根駅から徒歩約15分。または、JR東海道新幹線米原駅から車で約20分。◇金亀城(こんきじょう)ともよばれる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

彦根城
ひこねじょう

江戸期の城。滋賀県彦根市金亀(こんき)町にあり、別称を金亀城ともいう。徳川四天王に数えられる井伊直政(なおまさ)は関ヶ原の戦いの功により、上州箕輪(みのわ)城から石田三成(みつなり)の居城であった佐和山(さわやま)城(彦根市)を与えられた。直政は佐和山の西磯山(いそやま)に城を移そうとしていたが、関ヶ原の戦いのときの傷が再発して没した。後を継いだ直継(なおつぐ)(のち直勝(なおかつ))は磯山ではなく彦根山に移すことにし、1603年(慶長8)に着工、伊賀(いが)、伊勢(いせ)など7か国12大名に手伝普請(てつだいふしん)が命ぜられ、3年かかって完成した。これを第1期工事とよび、主として大津、安土(あづち)、佐和山などの旧城址(じょうし)から石材や瓦(かわら)などを運んで突貫工事で進めたものである。15年(元和1)直継にかわって直孝(なおたか)が城主となり、翌16年から22年まで第2期工事が行われた。城は琵琶(びわ)湖を西に控える平山城(ひらやまじろ)で、彦根山の頂上を本丸とし、西に西の丸、東に鐘の丸などを配し、これらが山上部分で、東の麓(ふもと)に表御殿があった。さらに内堀を隔てて東および南西に二の丸があり、家老など重臣級の武家屋敷が置かれ、東に佐和口、南に京橋口、西に船町口、北に山崎口が開いて三の丸に通じていた。井伊氏は直孝のとき、大坂の陣の功で5万石加増され、さらに1633年(寛永10)10万石加増され30万石となり(ほかに幕府城付米(しろつきまい)5万石を預かる)、譜代(ふだい)大名としては破格の扱いを受けて幕末に至った。現在、建造物としては天守閣(国宝)、西の丸三重櫓(やぐら)(重要文化財)、天秤(てんびん)櫓(重文)、佐和口多聞(たもん)櫓(重文)、太鼓門、御馬屋が残り、ことに御馬屋は他に例のない珍しい遺構である。[小和田哲男]

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世界大百科事典内の彦根城の言及

【厩∥馬屋】より

…日光東照宮の神厩は,武家の馬屋の形式で造られ,三猿(見ざる,いわざる,聞かざる)その他の猿の彫刻が飾られている。また彦根城の馬屋はL字形の平面をもち,21の小間,端部に馬丁の休息所をもつ大規模なものである。畜舎【宮沢 智士】。…

【彦根藩】より

…1600年(慶長5)関ヶ原の戦で東軍の軍奉行(いくさぶぎよう)として戦功のあった徳川四天王の一人井伊直政は,翌01年石田三成にかわり佐和山城主に封じられ,近江国で15万石,上野国で3万石,計18万石の大名となった。02年直政は戦傷がもとで死去,嫡子直継は翌03年彦根山に築城工事を起こし,7ヵ国12大名の御手伝普請により22年(元和8)20年の歳月をかけ,彦根城の完成をみた。しかしこの間,直継は病弱のため,庶弟直孝が名代として大坂冬・夏の両戦に参陣して武威をあげ,1615年家康は直孝をもって家督を継がせ,直継(のち直勝と改名)には彦根藩18万石のうち3万石をもって上野国安中(あんなか)城に封じた。…

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