20世紀日本人名事典 「大関和」の解説
大関 和
オオゼキ チカ
明治〜昭和期の看護婦教育者 大関看護婦会会長;東京看護婦会会頭。 近代看護婦のパイオニア。
- 生年
- 安政5年4月11日(1858年)
- 没年
- 昭和7(1932)年5月22日
- 出生地
- 下野国黒羽村(栃木県)
- 学歴〔年〕
- 桜井女学校附属看護婦養成所
- 経歴
- 黒羽藩家老大関増虎の二女に生まれ、慶応3年藩主の死去で辞職した父と共に東京に移る。明治9年同藩次席家老の渡辺家に嫁ぐが、のち2児を連れて離婚。植村正久の教える正美英学塾に学び、キリスト教の教義に感銘を受け、20年受洗。19年桜井女学校附属看護婦養成所に入り、21年31歳で看護婦の資格を取得し、近代教育を受けた初の看護婦となる。帝国大学附属病院外科看護婦取締を2年務め、新潟の高田女学校舎監兼伝道師を経て、27年知命堂病院産婆看護婦養成所に勤務。その間、社会主義者木下尚江との結婚を断念、東京に戻り29年東京看護婦会講習所責任者、34年同会会頭となる。32年には看護婦界初の団体である大日本看護婦人矯風会を設立した。看護婦の需要が高まり、42年神田猿楽町に大関看護婦会を設立、キリスト教精神に基づく看護婦育成に努めた。著書に「派出看護婦の心得」「実地看護法」がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報