(谷口牧夫)
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将棋棋士。江戸に生まれる。幼名は留次郎。1820年(文政3)5歳で11代大橋宗桂(そうけい)に入門。18歳のとき将棋修業の旅に出る。1845年(弘化2)30歳のとき富次郎と改名、六段。翌1846年七段を許され京都に上る。1852年(嘉永5)剃髪(ていはつ)して宗歩と称す。同年11月17日、江戸城の黒書院で和田印哲、大橋宗珉(そうみん)と対局する。これらの強豪との実戦は旧来の定跡(じょうせき)を破り、将棋史上に多くの名局を残している。門人には市川太郎松、渡瀬荘次郎、小林東伯斎ら在野の強豪が多数いた。定跡集『将棋精選』は近代将棋の基礎になっている。段位は七段、実力は十三段とうたわれ棋聖と仰がれる。
[原田泰夫]
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