夫余(読み)ふよ(英語表記)Puyǒ

改訂新版 世界大百科事典 「夫余」の意味・わかりやすい解説

夫余 (ふよ)
Puyǒ

古代,中国の東北方面から朝鮮半島東北にかけて存在したとされる部族名,国名扶余とも書く。民族の系統についてはツングース系ともいわれるが定説がない。《三国志》の魏志東夷列伝の記すところでは匈奴と俗を同じくするとしている。夫余の名称早くから中国の史書に見えるが,三上次男は彼らが部族国家の体をととのえたのはほぼ前2世紀末ころと推測している。その根拠地についても異説が多いが,池内宏は現在の松花江流域の阿勒楚喀Alchuka付近を比定している。夫余は強敵高句麗に隣接し,しばしばその脅威をうけたので,歴代の中国王朝に接近し朝貢政策をとった。しかし五胡十六国時代になると鮮卑の侵入をうけて国王は自殺し遺民は沃沮(よくそ)の地(咸鏡道方面)に奔った。彼らはここで東夫余を建国したという。この東夫余も相ついで高句麗の攻撃をうけ,494年滅亡した。広開土王碑文にも東夫余討伐が記されている。夫余族の習俗については前記の東夷列伝に詳しく記されているが,官名に家畜の名称を使用する習慣があり,また新春には迎鼓(あるいは迎年)という祭天の行事を催すなどシャマニズムの傾向がうかがわれ,高句麗の東盟と同様のものと思われる。彼らの建国説話は高句麗,百済のそれとすこぶる近似しており,魏志夫余伝巻末には〈魏略〉所収の東明王伝説(朱蒙)を付記している。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「夫余」の意味・わかりやすい解説

夫余
ふよ

古代中国の東北地方に割拠していたツングース系と思われる民族が建てた国名。夫余の名称は中国では先秦(しん)以来史書に現れるが、後漢(ごかん)時代初めて中国に遣使朝貢し、玄菟(げんと)郡の支配に属した。3世紀前半、魏(ぎ)の明帝が毌丘倹(かんきゅうけん)を高句麗(こうくり)に遠征させたとき、夫余王は改めて玄菟太守の王頎(おうき)に服従した。のち歴代中国王朝に朝貢したが、隣国高句麗の強大化によって領域を失い、有名な好太王によってその一部東夫余国を征服された。『三国史記』によれば、5世紀末、高句麗の文咨明(ぶんしめい)王時代に、夫余は国王以下ことごとく高句麗に降伏して併合されたことになっている。

 夫余族の当初の根拠地については諸説あるが、池内宏は黒竜江省の阿勒楚喀(アルチュカ)(現、阿什河)付近を比定している。この地はハルビン南東約30キロメートル、のちに女真(じょしん)の発祥地とされている所である。夫余の習俗、国制などについては『三国志』の「魏志東夷伝(とういでん)」が詳細に記録しているが、注目すべきことは、馬加、牛加、狗加などと六畜の名称を冠した四大豪族が国王のもとで各地を支配していたらしく、その社会は身分秩序もきわめて厳しく、婚姻の習俗はすこぶる匈奴(きょうど)に類似していたという。また、彼らの宗教の形態は原始シャーマニズムの要素が濃厚に見受けられる。夫余の建国伝承は高句麗、百済(くだら)のそれと共通点が多いので、民族の系統を推定するうえで重要な史料とされている。なお後世の「勿吉(もっきつ)」はこの夫余族の流れを引くものという説もある。

[村山正雄]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「夫余」の意味・わかりやすい解説

夫余【ふよ】

扶余とも記す。中国の東北地区から朝鮮半島東北部に前1―後5世紀にあった国および部族の名で,ツングース系の【わい】貊(わいばく)人が建てたとされる。漢文化の影響を受けて前1世紀に国家を形成。今の長春・農安付近を中心に松花江流域を版図とし,1―3世紀が全盛期。鮮卑(せんぴ)や同種の高句麗(こうくり)と対立し,3世紀後半から衰退。494年勿吉(もっきつ)靺鞨(まっかつ)に滅ぼされた。《三国志》の魏志東夷列伝によれば,迎鼓という祭天の行事を新春に催すなどシャマニズムの傾向がうかがわれる。なお百済(くだら)の王族は夫余の南下したものとする伝説がある。
→関連項目百済満州

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「夫余」の解説

夫余
ふよ

前1〜後5世紀,満州北部(中国の東北部)に存在した国。扶余とも書く
住民はツングース系の狩猟農耕民族。1世紀から3世紀半ばごろまでが全盛期で,東満州・北朝鮮一帯に発展。のち高句麗 (こうくり) や鮮卑 (せんぴ) に圧迫されて衰え,494年勿吉 (もつきつ) に滅ぼされた。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の夫余の言及

【扶余】より

…韓国,忠清南道南部の郡。人口15万3817(1980)。錦江中流の広い平野地帯にあり,米作を中心として,ニンジン,カラムシなどの特用作物を栽培する農村地帯である。郡の中央および北部には残丘状の丘陵地がみられ,金鉱など希少鉱物の埋蔵がみられる。特に林川金鉱山は古くから開発された歴史をもつ。郡の中心は錦江の左岸に位置する扶余邑で,人口3万1000(1980)の市街地をもつ。この町は三国時代,百済王朝が首都とした古都泗沘(しひ)であり,多くの遺跡から発掘された遺物は国立扶余博物館に収められている。…

【騎馬民族】より

…この対外活動は遊牧騎馬民族間のものもあったが,また南方の農耕地帯にも多く行われ,この地帯に対する略奪および征服活動は,その後ながい間にわたって世界の歴史を激動させ,展開させることに重要な役割を果たした。 ところで江上波夫は,以上の遊牧騎馬民族のほかに,北東アジアの農主牧副民系または半農半猟民系の騎馬民族として,夫余,高句麗,靺鞨(まつかつ),渤海(ぼつかい),女真,満州などをあげている。そして夫余や高句麗と関係ある北東アジア系の騎馬民族が,まず南朝鮮を支配し,やがてそれが弁韓(任那)を基地として北九州に侵入し,さらには畿内に進出して大和朝廷を樹立し,日本における最初の統一国家を実現した。…

※「夫余」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

潮力発電

潮の干満の差の大きい所で、満潮時に蓄えた海水を干潮時に放流し、水力発電と同じ原理でタービンを回す発電方式。潮汐ちょうせき発電。...

潮力発電の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android