古代の朝鮮半島北東から現在の中国の東北方面北方にかけて居住していた部族名。またその国名,地名。沃沮については最も詳細な記録を残した《三国志》魏志東夷列伝によると,沃沮族は半島の北東部,すなわち現在の咸鏡道からその北方に居住していたようであるが,古文献ではさらに北方のウスリー江流域一帯に存在していたらしい。北は挹婁(ゆうろう)や夫余(ふよ)族,南では濊貊(わいばく)に接し,西方には高句麗の勢力があった。その言語は高句麗と大同小異で,四方を強敵に包囲されているため,必然的に高句麗の直接間接の支配をうけざるをえなかった。前108年,漢の武帝が漢四郡を設けたとき,沃沮は玄菟郡(げんとぐん)治に入った。そのころの中心地は現在の咸興に比定されている。しかし高句麗族の強大化にともないその支配に屈した。3世紀半ば曹魏の毋丘倹(かんきゆうけん)の高句麗遠征のおりには,高句麗王の宮(位宮)が沃沮に亡命したので沃沮も魏軍の討伐をうけ,245年,玄菟太守王頎(おうき)の攻略に下った。このとき高句麗王はさらに逃れて北沃沮に走ったという。しかし北沃沮とか南沃沮とかの区別は便宜的なもので,部族的に特別の違いはなかったようである。また,沃沮の文化で注目されるのは独自の習俗とともに,かなり中国文化の影響が及んでいることである。
執筆者:村山 正雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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