広義には奈良地方ですかれた紙をいうが,狭義には同県南部ですかれる吉野紙(楮紙(こうぞがみ))を指す。奈良時代には中央に製紙所が設けられ,大量の大和の紙が存在していたと思われるが,詳細は不明である。古代国家の機構のなかの製紙所が貴族とともに滅び,再び民間の地場産業として再興してくるのは,鎌倉時代の末から室町時代にかけてと思われる。初めは主として奈良の寺院を経て上納されるところから奈良紙,奈良雑紙と呼ばれ,日常雑用に使われた。〈ならがみの薄き契(ちぎり)は〉(《七十一番職人歌合》)という慣用句も生まれ,すでに薄手の柔軟な紙の特色が確立されていた。1540年代に広域の地名の奈良紙の名称から,産地を明示した吉野紙へ転じていく。また《御湯殿上日記》によれば,奈良紙,吉野紙を指して〈やわやわ〉〈やわら〉などと呼びあらわしている。江戸時代になると,楮による薄く柔らかい紙として吉野紙(吉野和良(よしのやわら))のほかに美栖紙(みすがみ)(古くは三栖紙と書いた)が登場してきた。吉野紙の用途は漆や油の濾紙(こしがみ)や鼻紙などで,やや厚手の柔軟な美栖紙は表具用紙(中裏(なかうら)用)に使われた。両紙はともにトロロアオイのねり液の作用を巧みに利用した流しずきであって,すき上げた湿紙を圧搾せずに,直接,干板にはって(簀伏せ(すぶせ))乾燥させ,柔軟な紙の地合をつくるのが特色である。これら薄手の吉野物は,丹生(にゆう)郷,黒滝郷の産物で,下市が市場であった。一方,厚紙の楮として宇陀紙(うだがみ)が登場してきた。宇陀紙は,本来,宇陀郡芳野(ほうの)村からすき出された紙で,国栖紙(くずがみ)とも呼ばれるように,国栖郷,中荘郷,小川郷ですかれ,宇陀が市場の中心となった。宇陀紙は地元特産(川上村白屋)の白土を原料に添加して,紙に柔らかみを与え,伸び縮みを防ぎ,表具用紙(総裏(そううら)用)となる。吉野物の丹生郷,黒滝郷の製紙の衰微は早く,1959年に絶え,その技法は国栖地方に伝えられた。奈良県吉野郡吉野町で吉野紙(漆濾紙),美栖紙,宇陀紙の3種がすきつづけられ,これら3紙の伝統的技法は,いずれも国の文化財保存技術に選定されている。
執筆者:柳橋 真
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
奈良県南方の山麓(さんろく)地帯で漉(す)かれた雑用紙。コウゾ(楮)を原料とした薄くて柔らかな紙で、室町時代初期(15世紀)から京都の上層社会で広く使われた。女房詞(ことば)で「やわやわ」とよばれ、当時の日記類によく出てくる。興田庄(こうだのしょう)、柳原(やなぎわら)、十三郷、五位庄(ごいのしょう)などの産地名が文献にみられ、値段も一束(いっそく)(10帖(じょう))が約50文と安く、半紙と同様近世には庶民生活の必需品となった。
[町田誠之]
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