改訂新版 世界大百科事典 「契約締結上の過失」の意味・わかりやすい解説
契約締結上の過失 (けいやくていけつじょうのかしつ)
契約締結の準備段階または契約締結に至る過程において,契約当事者の一方の故意・過失により他方当事者が損害を受けた場合には,たとえ契約が不成立または無効であったとしても,その損害を,契約責任の考え方に基づいて賠償させるべきだという法理,またはその賠償責任をさす。たとえば,別荘の売買契約において,契約締結の直前に別荘が焼失していたのに,売主がそれをよく確かめずに契約を締結したとする。この場合その売買契約は,原始的不能を目的とする契約となって効力を生ぜず,したがって,買主が別荘を下見に行くために支出した旅費等の費用(損害)は,本来は契約責任によっては売主に追及できないことになるが,その場合でも賠償させようという法理である。ドイツ民法制定前の19世紀後半に,イェーリングによって提唱され,ドイツ民法には,この法理を前提とした規定がいくつか見られる(たとえば,ドイツ民法307条によれば,上記の例の買主は原始的不能を知りまたは知りうべかりし場合を除き,契約が有効だと信じたことによる損害の賠償を請求できるのが原則である)。ドイツでは,この法理は,(1)ドイツ民法の不法行為規定が一般条項でないため,不法行為によって救済される範囲が狭く,契約責任で救済したほうが妥当な場合が多いこと,また,(2)不法行為責任の追及ができる場合でも,契約責任として扱い不法行為責任よりも重い責任を認めるのが妥当と考えられること,などの理由により,著しく発展して,現在に至っている。
日本の学説では,この法理はかなり古くから紹介され,主として原始的不能の場合を中心に論じられている。通説は,ほぼドイツの解釈にならってこの法理を認め,契約を有効だと信じることによる損害(信頼利益)の賠償請求権を他方当事者に与えるべきだと解しているが,その適用範囲,要件,効果等の細部については,なお議論は一致をみない。日本の判例では,ドイツと異なり(前記(1)のような事情は日本では存しない),この法理の展開する基盤を欠いたためか,契約締結上の過失は久しく問題となっていなかった。しかし,近時の下級審判決中には,信義誠実の原則を根拠としてこの法理の採用を明言したものが見いだされる。そこでは,契約が不成立・無効の場合にかぎらずに,この法理の適用が認められており,その結果,この法理は契約を結ぶための交渉に入った者が,契約内容・条件の十分な開示をせずに契約を結ばせた場合に負う責任を基礎づけるものとなっている。
→契約
執筆者:平井 宜雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報