生没年不詳。記紀によれば第28代の天皇。6世紀前半に在位。武小広国押盾(たけおひろくにおしたて)天皇ともいう。継体(けいたい)天皇の第2子。母は目子媛(めのこひめ)。兄安閑(あんかん)天皇の後を受けて即位、大和(やまと)の檜隈廬入野宮(ひのくまのいおいりのみや)(奈良県高市(たかいち)郡明日香(あすか)村)に都し、橘仲皇女(たちばなのなかつひめみこ)を皇后とする。大伴金村(おおとものかなむら)、物部麤鹿火(もののべのあらかい)を大連(おおむらじ)、蘇我稲目(そがのいなめ)を大臣(おおおみ)とし、諸国の屯倉(みやけ)の稲を運ばせて、那津(なのつ)(福岡市博多(はかた))に官家(みやけ)を建て、任那(みまな)・百済(くだら)救援のために大伴狭手彦(さてひこ/さでひこ)を遣わしたと伝えられる。次代の欽明(きんめい)天皇との並立も考えられ、朝廷内部の動揺期にあたる。治世4年で没し、大和の身狭桃花鳥坂上(むさのつきさかのうえ)陵(奈良県橿原(かしはら)市鳥屋(とや))に葬る。『日本書紀』には、皇后とその幼児も合葬したとある。
[志田諄一]
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(大平聡)
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記紀系譜上の第28代天皇。6世紀前半の在位という。檜隈高田(ひのくまのたかだ)皇子・武小広国押盾(たけおひろくにおしたて)天皇と称する。継体天皇の第二子。母は尾張連草香(おわりのむらじくさか)の女目子媛(めのこひめ)。同母兄の安閑天皇の後をうけて即位したとされるが,「日本書紀」の伝える異説に,534年,継体天皇・太子(安閑)・皇子(宣化)がともに死んだとあって,継体の死後,異母弟の欽明天皇と対立し,内乱もしくは2朝並立の事態の生じた可能性も指摘されている。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…6世紀前半の継体朝末年に皇位継承をめぐって勃発したと想定されている内乱。《日本書紀》では継体天皇の死をその25年辛亥(531)のこととし,安閑天皇1年(534)までの2年間は空位とされる。一方,仏教公伝を《日本書紀》が壬申年(552)とするのに対し戊午年(538)として伝える《上宮聖徳法王帝説》や《元興寺縁起》によれば,欽明天皇の即位は辛亥年となって先の継体没年とつながり,その間に安閑・宣化2天皇の治世をいれる余地がない。…
※「宣化天皇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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