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板鼻 いたはな

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

板鼻
いたはな

群馬県西部,安中市東端にある旧町域。 1889年町制施行。 1955年近隣3町4村と合体して安中町となり,1958年安中市となった。かつて中山道宿場町として栄えた。明治時代には養蚕地帯となり,さなぎを餌に利用する養鯉業が農家の副業として行なわれ,専業化した。中世の山城鷹の巣城跡がある。

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百科事典マイペディアの解説

板鼻【いたはな】

群馬県安中市の東部,碓氷(うすい)川の北岸を占める。かつては上野国碓氷郡のうち。中世には現安中市東部から高崎市北西部にかけての一帯を板鼻と称し,現板鼻の東方,高崎市八幡(やわた)町の八幡八幡(やわたはちまん)宮や大聖護国(だいしょうごこく)寺の所在地あたりが中心であったという。

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世界大百科事典 第2版の解説

いたはな【板鼻】

上野国(群馬県)碓氷郡,中山道の宿場町。徳川家康の関東入部以後,里見義成の陣屋が置かれ,1591年(天正19)から1613年(慶長18)まで同氏の支配を受けた。25年(寛永2)から前橋藩主酒井忠世の子忠行の部屋住料となり,宿内に本陣が置かれたという。忠行の本藩就封後も板鼻付近は前橋領として残されたが,1749年(寛延2)酒井氏の姫路転封後は幕府領に組み込まれた。1852年(嘉永5)の宿高1298石余,宿並東西10町30間(1140m),家数347,人数1549,伝馬役家183軒半,本陣1,脇本陣1,問屋2,助郷28ヵ村。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

板鼻
いたはな

群馬県安中(あんなか)市東部の一地区。旧板鼻町。碓氷(うすい)川左岸の段丘上にあり、中山道(なかせんどう)の宿場町として発達した。付近で一時養鯉(ようり)業が行われたことがある。国道18号が通じ戦国時代の鷹巣(たかのす)城跡がある。[村木定雄]

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