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上野国(群馬県)碓氷郡,中山道の宿場町。徳川家康の関東入部以後,里見義成の陣屋が置かれ,1591年(天正19)から1613年(慶長18)まで同氏の支配を受けた。25年(寛永2)から前橋藩主酒井忠世の子忠行の部屋住料となり,宿内に本陣が置かれたという。忠行の本藩就封後も板鼻付近は前橋領として残されたが,1749年(寛延2)酒井氏の姫路転封後は幕府領に組み込まれた。1852年(嘉永5)の宿高1298石余,宿並東西10町30間(1140m),家数347,人数1549,伝馬役家183軒半,本陣1,脇本陣1,問屋2,助郷28ヵ村。58年(安政5)の人馬遣高2万3823人,1万4415疋。宿の西端に接して碓氷川鷹巣(たかのす)の渡し場があったこともあって,一般旅人を対象とする大小54軒の旅籠屋が立ちならび,多くの飯盛下女を抱え,宿場町としては中山道上州七宿のうち第一のにぎわいをみせたという。1955年安中町(1958市制)に合併。
執筆者:井上 定幸
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群馬県安中市(あんなかし)東部の一地区。旧板鼻町。碓氷(うすい)川左岸の段丘上にあり、中山道(なかせんどう)の宿場町として発達した。付近で一時養鯉(ようり)業が行われたことがある。国道18号が通じ戦国時代の鷹巣(たかのす)城跡がある。
[村木定雄]
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