日本の湖沼中では五番目の大きさをもつ。北側の島根半島と南側の中国山地に挟まれた東西に延びる宍道低地帯に形成された海跡湖。西側には宍道湖が位置し、宍道湖から東流する
汽水湖の特徴として、夏期には淡水下に塩水が侵入する二層構造をとり、湖底部は無酸素状態となるが、冬期にはそれらは解消される。かつては日本海の海水が底流となって境水道から入り、大根島北部を西へ流れ、大橋川から流入する淡水は表層流として大根島南部を東へ流れ、境水道から日本海へ出ていた。現在は中海干拓事業により堤防が築かれ大根島北側は閉鎖水域となったため、潮流は江島と境港市の間にある
ウルム氷期最盛期には中海は陸地で、古意宇川が現在の大橋川の
県北西端、島根県境にある汽水湖。「なかうみ」「ちゅうかい」ともよばれる。東は南東から北西に延びる弓浜半島(幅約四キロ・長さ約一八キロ)によって外海と区切られ、北は島根半島。東側は米子市・境港市、北側は島根県
現在の湖盆形成は約一五〇万―七〇万年前の更新世中期以降と考えられる。更新世末期から完新世に入り、いったん陸地となったのち、縄文海進期(約六千年前)に宍道湖地溝帯に沿った古中海湾に再び海形成が始まり、のちの中海と宍道湖の連なった形の入海ができあがった。弥生海退期に弓浜砂洲が現れて外海と隔てられた潟湖となり、七世紀頃弓浜半島基部が海没したらしい。天平五年(七三三)成立の「出雲国風土記」島根郡の条に記される「伯耆の国郡内の夜見の島」は、弓浜半島北端部が島状の砂洲となっていた様子を示すと推定される。またこの頃には中海と宍道湖は
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島根県東部の潟湖。〈なかのうみ〉ともいう。島根半島の南にある宍道(しんじ)低地帯東部の凹所が,日野川の運び出す土砂により形成された砂嘴(さし)の弓ヶ浜(夜見ヶ浜)で外海と区切られてできた。周囲84km,面積98.5km2。富栄養の汽水湖で,平均水深5.4m,最大水深17.1m。島根県松江市,安来(やすぎ)市と鳥取県米子市,境港(さかいみなと)市に囲まれ,湖のほぼ中央に大根(だいこん)島,江島の2島がある。流入河川のおもなものは,大橋川,意宇川,伯太(はくた)川,飯梨(いいなし)川など湖の南岸にあり,北東端の境水道で美保湾から日本海へと通じる。中海の沿岸は先史時代から古代にかけて出雲文化の栄えた地域で,多くの古墳や遺跡があり,意宇川下流域には出雲国庁跡もある。《出雲国風土記》には,宍道湖とともに〈入海(いりうみ)〉と記されている。
近世,背後の中国山地でたたら製鉄により作られた和鉄を運び出す海路が中海から開け,大坂までの西廻航路に合したため,伯太川河口に安来の町が栄えた。明治末期までは,中海は宍道湖とともに水運の大動脈で,米子港,安来港,馬潟(まかた)港(現,松江港)が発展した。また半鹹湖であるため,エビ,ウナギ,ボラ,クロダイなどを産する。くり舟として知られるそりこ船は,艫(とも)につけた熊手形の桁により船の動揺につれてアカガイやエビを網にかける桁曳(けたひき)漁に用いられたが,現在は完全に消滅した。そりこ船は美保関町(現,松江市)の美保神社に1隻保存されている。中海沿岸の島根・鳥取両県にまたがる6市16町2村は,1966年中海地区新産業都市の指定を受けた。これは既存の地場資源を生かした食料品工業や鉄鋼業,木材加工業の振興をはかり,あわせて貿易の拡大を計ろうとしたが,立地環境の不十分さや経済環境の影響で十分な成果は得られていない。
中海の1/4にあたる2524haを農用地として干拓しようという計画(1954年)は,1963年以後農水省の土地改良事業として進められてきた。全体5地区のうち4地区では事業が完成したが,最大の本庄工区(1689ha)は,計画内容のずさんさや農業環境の変化,さらに事業のむだなどをめぐって計画撤回を求める住民運動が起こり,堤防は完成したものの88年計画は凍結され,2000年に中止された。堤防を農道として利用することができるようになったため,離島八束町(現,松江市)は離島振興法の解除がなされた。
執筆者:池田 善昭
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鳥取・島根の県境にある湖。「なかのうみ」ともいい、鳥取県では「ちゅうかい」ともいう。島根半島と砂州(さす)の弓ヶ浜半島に囲まれた海跡(かいせき)湖。境水道(さかいすいどう)で日本海に、大橋川で宍道(しんじ)湖に通ずる。面積86.2平方キロメートルで、わが国第5位。周囲105キロメートル。平均水深5.4メートル。最大水深17.1メートル。中央に大根(だいこん)島と江島(いずれも松江市)がある。汽水(きすい)湖で、かつてはエビ、ウナギ、アカガイ、ハゼなどの淡水魚と、マダイ、マアジなどの海水魚が生息した。現在はボラ、スズキなどが水揚げされる。かつては漁獲用や交通手段に古代から伝わる刳舟(くりぶね)の「そりこ舟」が用いられた。
1963年(昭和38)米の増産を目的に、宍道湖と中海を淡水化し、干拓地や周辺農地への農業用水として利用する計画(中海・宍道湖淡水化事業)が着手された。また、この計画とともに中海を2500ヘクタール干拓し、農地として造成する予定であった。1974年(昭和49)淡水化のための日本海との防潮水門である中浦水門が完成。水門上部には島根県八束(やつか)町(現在は松江市)と境港(さかいみなと)市を結ぶ暫定道路がつくられ、1980年には大根島と松江市大海崎(おおみざき)間の堤防道路が完成した。しかし、その後は米の減反が進み、淡水化による水質の悪化なども問題となり、1988年(昭和63)鳥取、島根両県が国に対して工事の延期を申し入れた。中海干拓予定地5か所のうち4工区は完了し営農が開始されていたが、残った最大面積の本庄(ほんじょう)工区の工事が中断され、事業は凍結された。1996年(平成8)島根県が本庄工区の工事再開を要請。1997年度から国の調査が行われ、2000年国の公共事業見直しにより本庄工区の干拓は中止となった。同時に淡水化を中止した場合の新たな水源確保が問題となった。2002年島根県、鳥取県が代替水源案を提示、同年12月宍道湖、中海の淡水化事業は中止となった。沿岸に松江、安来(やすぎ)、境港、米子(よなご)の各都市があり、人口密度は山陰一。東に大山(だいせん)を遠望し、冬にはハクチョウが飛来する。なお、中海は2005年(平成17)に、ラムサール条約登録湿地となった。
[野本晃史]
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…流入河川のおもなものは,大橋川,意宇川,伯太(はくた)川,飯梨(いいなし)川など湖の南岸にあり,北東端の境水道で美保湾から日本海へと通じる。中海の沿岸は先史時代から古代にかけて出雲文化の栄えた地域で,多くの古墳や遺跡があり,意宇川下流域には出雲国庁跡もある。《出雲国風土記》には,宍道湖とともに〈入海(いりうみ)〉と記されている。…
…来侍(きまち)川,玉湯川などの小河川が注ぐが,最大の流入河川は出雲平野を貫流する斐伊(ひい)川である。排水は,おもに東岸松江市街を経て中海(なかうみ)につながる大橋川による。 宍道湖は,《出雲国風土記》には中海と合わせて入海(いりうみ)と記されている。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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