宗禅寺(読み)そうぜんじ

日本歴史地名大系 「宗禅寺」の解説

宗禅寺
そうぜんじ

[現在地名]熊本市細工町四丁目

細工さいく町四丁目の西側にあり、西側と南側は坪井つぼい川が流れ、一駄いちだ橋が架かっていた。北の道向いに阿弥陀あみだ寺がある。興福山と号し、曹洞宗本尊釈迦如来。「国誌」によれば、もと隈本くまもと城城主城親冬の遊休の茶屋跡に羅漢らかん寺を起立したのに始まるという。そのため門前の小路を羅漢小路と称した。寛永九年(一六三二)細川忠利入国の際、豊前国羅漢寺(現大分県下毛郡本耶馬渓町)の弟子宗禅(開基)が従って来て、同じ羅漢寺の故をもって当寺の住職に命じられ、宗禅は自分の名を後世に伝えるため宗禅寺と改号した。


宗禅寺
そうぜんじ

[現在地名]仙台市根岸町

大年だいねん寺の北東、広瀬川の宮沢みやざわ橋袂にある曹洞宗の寺。青竜山と号し、本尊釈迦牟尼仏。「封内風土記」によれば、文安四年(一四四七)粟野遠江守の開基七北田ななきた(現泉市)洞雲どううん寺六世梅国祥三開山とある。元和二年(一六一六)国分氏家臣で北目きため城主粟野大膳重国の菩提寺となり寺領を付されたが、天正一九年(一五九一)粟野家は没落し、寺領も没収された。


宗禅寺
そうぜんじ

[現在地名]羽村市川崎二丁目

新奥多摩街道の東側、川崎段丘崖線沿いに所在する臨済宗建長寺派寺院。医王山と号し、本尊は釈迦如来。当寺の由緒書によると、寛正年間(一四六〇―六六)薬師堂として建立されたが、元和元年(一六一五)寺院に変更、寛永三年(一六二六)玉岫球を開基として新たに創建された。もとは多摩川辺りにあったが、玉川上水開削や延宝二年(一六七四)の大洪水のため、元禄四年(一六九一)現在地に再建されたという(由緒書)本堂西にある薬師堂は、推古天皇時代の多摩川大洪水の際、上流から漂着した欅の流木を薬師に彫り、水難犠牲者を供養して堂宇を建てたのが創始と伝え、天正一一年(一五八三)多摩川の流木で再建、「一本木堂」とも称したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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