宝光寺(読み)ほうこうじ

日本歴史地名大系 「宝光寺」の解説

宝光寺
ほうこうじ

[現在地名]草津市北大萱町

北大萱きたおおがや町集落のほぼ中央に位置する。瑠璃山と号し、天台宗。本尊薬師如来。「興福寺官務牒疏」によれば、天武天皇の勅願寺で、定恵の開基と伝える。かつては一二坊を有し、四至別院(笠堂医王寺・笠堂西照寺・智厳寺・大悲寺・最勝寺)や七精舎があったとされる。芦浦あしうら観音寺花摘はなつみ(ともに現草津市)とともに湖南の仏教文化の拠点であったという。永正六年(一五〇九)兵火で堂舎を焼失したとされ、現在は小堂を残すのみ。本尊は平安時代の作とされる像高一六六センチの木造薬師如来立像で、国指定重要文化財。


宝光寺
ほうこうじ

[現在地名]日の出町平井

谷戸やとにある。曹洞宗。塩沢山と号し、本尊は聖観音。はじめ天台宗の寺院で、菩提ぼだい院と号したという。いわゆる鎌倉街道の駅路に位置したため、祈願・参詣人が多く、治承四年(一一八〇)源頼朝が平家追討の旗揚げをしたさいにも祈願したと伝える。永徳元年(一三八一)当地の平山守吉により中興された。文安二年(一四四五)平山綱景により諸堂舎が建立された際、甲斐国の広厳こうごん(現山梨県一宮町)三世の法子以船文済を開山に迎え、曹洞宗に改宗、山号寺号も塩沢山宝光寺に改めたという(慶応四年「塩沢山宝光寺由緒書」三宅家文書)


宝光寺
ほうこうじ

[現在地名]白鳥東山

狩居かれい川の上流左岸にある。如意山と号し、曹洞宗。本尊千手観音。宝光寺記録(寺蔵)によると大量無極(俗称山本長者)が永延年中(九八七―九八九)隠棲して開創したという。寛正年中(一四六〇―六六)細川勝元が再興し、白鳥・西山にしやま横内よこうち(現大内町)石田いしだ(現寒川町)などで寺領を寄進、讃岐曹洞宗の最初の寺院といわれる。「讃岐国名勝図会」には嘉吉元年(一四四一)一藺の草創とある。


宝光寺
ほうこうじ

[現在地名]新発田市諏訪町二丁目

寺町東側にあり、広大な寺地を占める。広沢山と号し、曹洞宗。本尊釈迦。新発田藩主溝口氏の菩提寺である。加賀大聖寺だいしようじ(現石川県加賀市)在城の時、溝口秀勝が雪堂を開山として開いた寺で、初め大麟だいりん寺と号した。慶長三年(一五九八)秀勝の新発田入封に随従し、当初五十公野いじみのに建立された。同一一年、秀勝は五十公野のうち荒田二町を寺領として与えている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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