日本歴史地名大系 「宝幢院跡」の解説
宝幢院跡
ほうどういんあと
〈近江・若狭・越前寺院神社大事典〉
〔相輪〕
正しくは浄菩提心無垢浄光摩尼幢相輪。平安末か鎌倉初期の写本という叡山宝幢院図并文(仁和寺蔵)などによれば、弘仁一一年(八二〇)九月最澄が自ら書写した法華経や大日経をはじめとする二二部五八巻の経典と銘文を納めるため創建された。の形態・規模については「宝幢壱基、高四丈五尺」などと記され、名称の由来となった相輪自体は高さ三尺三寸で九層に分れ、各層の形は盤のごとくであり、層ごとには摺本の無垢浄光などの真言を納めた一一の金銅小筒が付けられ、最下層には一一の宝鐸が懸けられていたという。
宝幢院跡
ほうどういんあと
宝幢院跡
ほうどういんあと
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報