宝幢院跡
ほうどういんあと
[現在地名]大津市坂本本町
釈迦堂の背後(北東)にある十六院の一つ。正しくは法華延命宝幢院。当院の一施設に相輪
があり、西塔全体を宝幢院ともよぶのはこの宝
によるという。相輪
は当院より古い創建で、現存する。
〈近江・若狭・越前寺院神社大事典〉
宝幢院跡
ほうどういんあと
[現在地名]高野町高野山
恵光院前の南北の谷、宝幢院谷の南端にあったと伝え、焼失(時期不詳)後は阿弥陀堂のみ再建されたが(続風土記)、現在は阿弥陀堂も廃絶。鎌倉時代の信堅院号帳に「宝憧院 宝塔三昧院後白川院御願也、願主丹後二位殿」とみえ、文明五年(一四七三)の諸院家帳は宝塔三昧院を説明して「道南、法花房上人鑁阿建立、以後二位為願主号宝幢院」と記す。
宝幢院跡
ほうどういんあと
[現在地名]河芸町北黒田
北黒田集落背後の丘陵上にあった寺院で、「五鈴遺響」には「法幢寺 同処ニアリ、神宮寺と称ス、領主藤堂家ノ祈願所ニシテ、毎歳正月十五日、国家鎮護ノ大般若経転読執行セリ」と記す。弥尼布理神社の別当寺であったと思われるが、明治年間に廃絶し、その跡は小学校敷地となっている。しかしその大般若経転読は、北黒田地区の「世だめし粥占行事」となって現在まで継続されている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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