宝生九郎(読み)ホウショウクロウ

デジタル大辞泉 「宝生九郎」の意味・読み・例文・類語

ほうしょう‐くろう〔ホウシヤウクラウ〕【宝生九郎】

能楽師シテ方宝生流家元の芸名。16世知栄ともはる[1837~1917]が有名で、維新後の能楽復興に尽力。明治三名人の一人。

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精選版 日本国語大辞典 「宝生九郎」の意味・読み・例文・類語

ほうしょう‐くろう【宝生九郎】

  1. 能楽師。宝生流一六世宗家。本名知栄(ともはる)。一五世宝生彌五郎の次子。維新後、梅若実桜間伴馬(左陣)とともに能楽復興の支柱として活躍し、能楽界の発展に努めた。明治の三名人の一人。天保八~大正六年(一八三七‐一九一七

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「宝生九郎」の意味・わかりやすい解説

宝生九郎
ほうしょうくろう

能楽師。能のシテ方宝生流宗家の通り名で、8世~13世、16世と17世が名のるが、とくに16世が有名。

増田正造

16世

(1837―1917)本名宝生知栄(ともはる)。幼名石之助。江戸・神田に生まれる。梅若実(うめわかみのる)、桜間伴馬(さくらまばんま)とともに明治三名人とうたわれた。最後の太夫(たゆう)らしい太夫といわれる。初舞台は6歳で江戸城本丸の『関寺与市』。幕府が倒れると、隠居を決意して能を離れ、商人あるいは農業を志したというから、当時の混乱ぶりがしのばれる。1878年(明治11)宮内省御能係となり、以後、能楽復興の支柱となる。人格の高さ、たぐいない識見、故実の詳しさ、気品ある芸格、抜群の美声で、明治能楽界に君臨した。70歳の『安宅(あたか)』で能を舞い納め、以後は後進の養成に没頭した。門下に松本長(ながし)、野口兼資(かねすけ)、近藤乾三(けんぞう)らの名手輩出。その厳しい稽古(けいこ)ぶりは有名であった。幕末最後の勧進能(かんじんのう)(1848)における少年石之助時代を描いた映画に、伊藤大輔(だいすけ)監督の『獅子(しし)の座』(1953)があり、父15世宝生太夫友于(ともゆき)に長谷川一夫(はせがわかずお)、石之助に津川雅彦(まさひこ)が扮(ふん)した。著書に『謡曲口伝』。

[増田正造]

17世

(1900―1974)分家宝生嘉内の次男勝。京都に生まれる。18歳で宗家継承、重英(しげふさ)と名のり、のちに九郎を襲名。堅実な芸風であり、能楽界の要(かなめ)となる政治的な手腕にも優れた。芸術院会員。その嗣子(しし)宝生英雄(ふさお)(1920―1995)が18世、宝生英照(ふさてる)(1958―2010)が19世、宝生和英(かずふさ)(1986― )が20世として宗家を継承している。

[増田正造]

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「宝生九郎」の解説

宝生 九郎(17代目)
ホウショウ クロウ


職業
能楽師(宝生流シテ方)

肩書
宝生流宗家(17代目) 日本芸術院会員〔昭和37年〕

本名
宝生 勝

別名
別称=宝生 九郎重英(ホウショウ クロウシゲフサ)

生年月日
明治33年 7月2日

出生地
京都府 京都市仲長者町

経歴
分家宝生嘉内の二男。明治36年「高野物狂」で初舞台、42年「猩々」で初シテ。同年一家をあげて東京に移住し、16代目宝生九郎に弟子入り。大正6年18歳で宗家を継承、重英を名乗り、昭和24年17代目九郎を襲名した。一方、13年東京音楽学校教授、20年能楽協会初代理事長もつとめた。32年より日本能楽会会員、37年日本芸術院会員に。重厚堅実な芸風で、新作能「復活のキリスト」も手がけた。

所属団体
日本能楽会

受賞
勲三等瑞宝章〔昭和46年〕 芸術祭賞〔昭和29年〕「満仲」,芸術選奨(昭29年度)「船弁慶」(レコード)

没年月日
昭和49年 7月18日 (1974年)

家族
父=宝生 嘉内,養父=宝生 九郎(=知栄 16代目宗家),長男=宝生 英雄(18代目宗家),四女=宝生 公恵(能楽師)


宝生 九郎(16代目)
ホウショウ クロウ


職業
能楽師(宝生流シテ方)

肩書
宝生流宗家(16代目)

本名
宝生 知栄(ホウショウ トモハル)

別名
別称=宝生 九郎知栄(ホウショウ クロウトモハル),幼名=石之助

生年月日
天保8年 6月8日

出生地
江戸・神田(東京都)

経歴
6歳のころ江戸城内で初舞台、嘉永6年(1853)家督を相続。幕府が倒れたあとは、能を離れて商人や農業を志したが、明治11年宮内省御能係となる。以後、維新後に衰微した能楽復興の支柱となって明治の能楽界に君臨して宝生流隆盛の礎を築き、梅若実、桜間伴馬とともに明治三名人といわれる。39年70歳のとき「安宅」延年の舞で能を舞い納め、以後は後進の養成に没頭した。大映映画「獅子の座」は幕末最後の勧進能における石之助時代を描いたもの。ワキ方・狂言方・囃子方にも素養が深く、「謡曲口伝」の著書がある。

没年月日
大正6年 3月9日 (1917年)

家族
父=宝生 弥五郎(=友于 宝生流15代目宗家),養子=宝生 九郎(=重英 17代目宗家)

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改訂新版 世界大百科事典 「宝生九郎」の意味・わかりやすい解説

宝生九郎 (ほうしょうくろう)

能の宝生流シテ方宗家の通り名。8,9,10,11,12,13,16,17世の8人が名のり,16世が有名。16世(1837-1917・天保8-大正6)は幼名石之助。本名九郎知栄(ともはる)。15世宝生弥五郎友于(ともゆき)の次男として生まれ,1853年(嘉永6)家督を相続。明治維新後の能楽復興に力を注ぎ,初世梅若実桜間伴馬(ばんま)とともに明治の三名人とうたわれ,明治能楽界の支柱となって活躍した。1906年《安宅》延年之舞を演じて舞台を引退,その後は謡専門に転じた。気品高い芸風と豊麗な名調子の謡とでシテ方として優れていたのみならず,ワキ,囃子,狂言方の分野にいたるまで該博な識見を有し,能楽界全体のよき指導者として畏敬された。門下に松本長(ながし),野口兼資(かねすけ)をはじめ,近藤乾三(けんぞう),高橋進,田中幾之助らの名手逸材を育て,宝生流隆盛の基礎を築いた功は大きい。
宝生流
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20世紀日本人名事典 「宝生九郎」の解説

宝生 九郎(17代目)
ホウショウ クロウ

大正・昭和期の能楽師(宝生流シテ方) 宝生流宗家(17代目)。



生年
明治33(1900)年7月2日

没年
昭和49(1974)年7月18日

出生地
京都府京都市仲長者町

本名
宝生 勝

別名
別称=宝生 九郎重英(ホウショウ クロウシゲフサ)

主な受賞名〔年〕
芸術祭賞〔昭和29年〕「満仲」,芸術選奨(昭29年度)「船弁慶」(レコード),勲三等瑞宝章〔昭和46年〕

経歴
分家宝生嘉内の二男。明治36年「高野物狂」で初舞台、42年「猩々」で初シテ。同年一家をあげて東京に移住し、16代目宝生九郎に弟子入り。大正6年18歳で宗家を継承、重英を名乗り、昭和24年17代目九郎を襲名した。一方、13年東京音楽学校教授、20年能楽協会初代理事長もつとめた。32年より日本能楽会会員、37年日本芸術院会員に。重厚堅実な芸風で、新作能「復活のキリスト」も手がけた。


宝生 九郎(16代目)
ホウショウ クロウ

明治期の能楽師(宝生流シテ方) 宝生流宗家(16代目)。



生年
天保8年6月8日(1837年)

没年
大正6(1917)年3月9日

出生地
江戸・神田

本名
宝生 知栄(ホウショウ トモハル)

別名
別称=宝生 九郎知栄(ホウショウ クロウトモハル),幼名=石之助

経歴
6歳のころ江戸城内で初舞台、嘉永6年(1853)家督を相続。幕府が倒れたあとは、能を離れて商人や農業を志したが、明治11年宮内省御能係となる。以後、維新後に衰微した能楽復興の支柱となって明治の能楽界に君臨して宝生流隆盛の礎を築き、梅若実、桜間伴馬とともに明治三名人といわれる。39年70歳のとき「安宅」延年の舞で能を舞い納め、以後は後進の養成に没頭した。大映映画「獅子の座」は幕末最後の勧進能における石之助時代を描いたもの。ワキ方・狂言方・囃子方にも素養が深く、「謡曲口伝」の著書がある。

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百科事典マイペディア 「宝生九郎」の意味・わかりやすい解説

宝生九郎【ほうしょうくろう】

能楽師。シテ方宝生流16世宗家。実名知栄(ともはる)。15世宝生弥五郎友于(ともゆき)の次男。高い識見と格調ある芸で明治能楽界の指導的位置にあり,梅若実桜間伴馬とともに明治三名人と呼ばれた。松本長野口兼資近藤乾三はその高弟。17世宝生九郎重英(しげふさ)〔1900-1974〕は16世九郎の養子。

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朝日日本歴史人物事典 「宝生九郎」の解説

宝生九郎

没年:大正6.3.9(1917)
生年:天保8.6.8(1837.7.10)
江戸末期から大正時代の能楽師。シテ方宝生流16代宗家。幼名石之助。本名は知栄。15代宝生弥五郎友于の次男として生まれ,17歳で家督を相続。明治維新後の能楽変革期に斯道復興のために尽力し,能楽界の中心的存在として活躍。格調高い芸風と名調子の謡で,初代梅若実,桜間伴馬と共に明治の三名人とうたわれる。ワキ・囃子・狂言方についても造詣が深く,傑出した指導者として君臨した。30番もの曲を宝生流現行曲から廃絶したことは有名。門下に松本長,野口兼資など多くの名人を輩出し,宝生流隆盛の基礎を築いた。<参考文献>柳沢英樹『宝生九郎伝』

(石井倫子)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「宝生九郎」の意味・わかりやすい解説

宝生九郎(16世)
ほうしょうくろう[じゅうろくせい]

[生]天保8(1837).6.8. 江戸
[没]1917.3.9. 東京
能楽師。シテ方宝生流宗家。 15世弥五郎友干 (ともゆき) の次男。幼名は石之助,のち九郎知栄 (ともはる) と名のる。嘉永6 (1853) 年 17歳で家督を継ぎ,明治維新後,能楽衰微のときによくその復興に努めた。梅若実桜間左陣とともに明治三名人といわれた。 1906年隠退。長身痩躯,天性の美声で『松風』『道成寺』など鬘物 (かずらもの) を得意とした。

宝生九郎(17世)
ほうしょうくろう[じゅうななせい]

[生]1900.7.2. 京都
[没]1974.7.18. 熱海
能楽師。シテ方宝生流宗家。分家宝生嘉内の次男で前名は勝。 17世を継ぎ重英と名のる。 1954年『満仲』で芸術祭文部大臣賞受賞。 62年日本芸術院会員。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宝生九郎」の解説

宝生九郎(1) ほうしょう-くろう

1837-1917 幕末-大正時代の能楽師シテ方。
天保(てんぽう)8年6月8日生まれ。宝生友于(ともゆき)の次男。シテ方宝生流16代家元。維新後の能楽復興につとめ,初代梅若実,桜間伴馬(ばんま)とともに明治三名人とされた。ワキ方,囃子(はやし)方,狂言方にも通じ,指導者としてもすぐれた。大正6年3月9日死去。81歳。江戸出身。名は知栄(ともはる)。幼名は石之助。

宝生九郎(2) ほうしょう-くろう

1900-1974 大正-昭和時代の能楽師シテ方。
明治33年7月2日生まれ。大正6年分家からシテ方宝生流宗家17代をつぐ。昭和3年東京水道橋に能楽堂を建設。13年東京音楽学校(現東京芸大)教授。24年九郎を襲名した。芸術院会員。昭和49年7月18日死去。74歳。京都出身。名は重英(しげふさ)。幼名は勝。

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367日誕生日大事典 「宝生九郎」の解説

宝生 九郎(17代目) (ほうしょう くろう)

生年月日:1900年7月2日
大正時代;昭和時代の能楽師シテ方。東京音楽学校(現東京芸術大学)教授
1974年没

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世界大百科事典(旧版)内の宝生九郎の言及

【野口兼資】より

…宝生流の名家野口庄兵衛の孫。祖父に謡を,松本金太郎に型を学び,1892年16世宗家宝生九郎に入門,40歳代まできびしい稽古(けいこ)を受けた。芸風は幽玄無上というべきもので,相弟子の松本長(ながし)とともに宝生流の両名人といわれた。…

【宝生流】より

…友于は官許を得て1848年(嘉永1)神田筋違橋(すじかいばし)御門外で晴天15日間の勧進能を興行したが,これは江戸時代の最後を飾る大能であった。 16世九郎知栄(ともはる)(宝生九郎)は維新の難関を切り抜け近代の能界をリードした名人で,弥五郎友于以来の門弟巳野喜松,命尾与作・寿六,日吉弥八,松本金太郎らの協力を得て活躍,華族や高級官僚の間に流勢を伸ばし,松本長(ながし),野口兼資(かねすけ),近藤乾三,高橋進(1902‐84。人間国宝),田中幾之助(1903‐83)ら逸材を育て,今日の宝生流の基礎をつくった。…

【松本長】より

…宝生流の名家,松本金太郎(1843‐1914)の次男として静岡に生まれる。1882年父とともに上京,16世宝生九郎に入門,1917年九郎が没するまで稽古(けいこ)を受け,野口政吉(のち野口兼資(かねすけ))とともに宝生流の双璧(そうへき)とうたわれた。堅実にして端正な,品位の高い芸風で知られた。…

※「宝生九郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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