都留重人(読み)ツルシゲト

デジタル大辞泉 「都留重人」の意味・読み・例文・類語

つる‐しげと【都留重人】

[1912~2006]経済学者。東京の生まれ。米国ハーバード大学卒業後、同校講師を務める。昭和17年(1942)帰国し、昭和22年(1947)第1回経済白書執筆。その後は一橋大学学長など各大学の学長・教授歴任都市問題公害問題などにも積極的に取り組んだ。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「都留重人」の意味・わかりやすい解説

都留重人
つるしげと
(1912―2006)

国際的な経済学者。東京に生まれる。ハーバード大学で学び、卒業後、同大学の助手、講師を務める。その間、J・A・シュンペーターに学ぶ。太平洋戦争開戦のため1942年(昭和17)に交換船で帰国し、応召後1944年から外務省に勤務。戦後1947年(昭和22)片山哲内閣の経済安定本部副長官となり、日本で初めての『経済白書』(経済実相報告書)の執筆にあたった。1948年東京商科大学(現在の一橋大学)教授となり、1972年から一橋大学学長。1975年退官し、朝日新聞社論説顧問、明治学院大学教授を歴任。1977~1980年には国際経済学会(International Economic Association)会長も務めた。経済体制、公害、都市問題などを、人間復位の立場から分析し、また、経済現象を素材面と体制面とを区別しながら両者の統一を図る政治経済学を提唱した。

[中村達也]

『『都留重人著作集』全13巻(1975~76・講談社)』『都留重人編『世界の公害地図』上下(1977・岩波書店)』『都留重人著『新しい政治経済秩序を求めて』(1983・朝日選書)』『都留重人著、渡辺敏・石川通達訳『日本の資本主義――創造的敗北とその後』(1995・岩波書店)』『都留重人著『なぜ今、日米安保か』(1996・岩波書店)』『都留重人著『いくつもの岐路を回顧して――都留重人自伝』『21世紀日本への期待――危機的現状からの脱却を』(2001・岩波書店)』『都留重人著『科学と社会――科学者の社会的責任』(2004・岩波書店)』『都留重人著『経済学はむずかしくない』(講談社現代新書)』『都留重人著『地価を考える』(岩波新書)』『P・A・サムエルソン著、都留重人訳『経済学』上下(1981・岩波書店)』『Shigeto Tsuru:Japan's Capitalism;creative and beyond(1993, Cambridge University Press)』『Institutional Economics Revisited(1993, Cambridge University Press)』『Economic Theory and Capitalist Society;The Selected Essays of Shigeto Tsuru(1994, Edward Elgar Publishing, Great Britain)』『The Economic Development of Modern Japan;The Selected Essays of Shigeto Tsuru(1995, Edward Elgar Publishing, Great Britain)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「都留重人」の意味・わかりやすい解説

都留重人
つるしげと

[生]1912.3.6. 東京
[没]2006.2.5. 東京,港
経済学者。旧制第八高等学校2年時に治安維持法違反で除籍。渡米して 1935年ハーバード大学を卒業。ジョセフ・A.シュンペーターのすすめで集計概念の方法的検討という主題に没頭した。学位を得たのちも同大学経済学部助手,講師としてとどまりポール・A.サミュエルソンやジョン・K.ガルブレイスらと親交を深めたが,太平洋戦争開始後に交換船で帰国,1944年外務省に勤務。戦後は連合国総司令部 GHQ経済科学局経済顧問,片山内閣経済安定本部総合調整委員会副委員長を歴任。 1948年東京商科大学教授,1972~75年一橋大学学長,1975年一橋大学名誉教授。第1回『経済白書』 (1947) の執筆にあたった。主要著作は『都留重人著作集』 (13巻,1975~76) に所収。 1980年コメンドトーレ勲章受章。

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百科事典マイペディア 「都留重人」の意味・わかりやすい解説

都留重人【つるしげと】

経済学者。東京都生れ。アメリカのハーバード大学経済学部卒業,同大学院修了。ハーバード大学講師を経て,1947年経済安定本部(経済企画庁)総合調整委員会副委員長(事務次官相当)となり,第1回《経済実相報告書(経済白書)》執筆責任者,1948年東京商科大学(1949年一橋大学に改組,改称)経済研究所教授,1949年所長,1972年‐1975年学長(のち名誉教授),1977年国際経済学会会長,1986年明治学院大学国際経済学部教授。1990年日本学士院会員。1946年5月には武田清子武谷三男,鶴見和子,鶴見俊輔丸山真男,南博,宮城音弥,渡辺慧らと思想の科学研究会の結成,雑誌《思想の科学》創刊に参加し,カナダの外交官E.H.ノーマンと交友を持った。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「都留重人」の解説

都留重人 つる-しげと

1912-2006 昭和-平成時代の経済学者。
明治45年3月6日生まれ。ハーバード大を卒業して講師をつとめ,昭和17年帰国。22年経済安定本部(のちの経済企画庁)にはいり,第1回「経済白書」を執筆。23年東京商大(現一橋大)教授となり,47年一橋大学長。のち明治学院大教授。現代資本主義の分析で国際的に知られる。平和問題,都市・環境問題などでも発言をかさねた。平成18年2月5日死去。93歳。東京出身。著作に「公害の政治経済学」など。

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367日誕生日大事典 「都留重人」の解説

都留 重人 (つる しげと)

生年月日:1912年3月6日
昭和時代;平成時代の理論経済学者
2006年没

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