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宮負定雄 みやひろさだお

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

宮負定雄
みやひろさだお

[生]寛政9(1797).下総
[没]安政5(1858)
江戸時代後期の農政家。通称は佐平。平田篤胤門下。農業を中心に民衆に向っての教導に力を注いだ。国益は天下に道を教えて,人種子 (ひとだね) をふやすことが第一として,堕胎をやめ,人口増加をすすめ,人々を生産労働に従事させる必要を説いた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

宮負定雄 みやおい-やすお

1797-1858 江戸時代後期の国学者。
寛政9年9月10日生まれ。下総(しもうさ)香取郡(千葉県)松沢村の名主。平田篤胤(あつたね)の門人で,農民の心得を説く「民家要術」や技術書「農業要集初編」などをあらわす。後年は各地を放浪,幽冥界への関心をふかめた。安政5年9月23日死去。62歳。通称は佐平。名は「さだお」ともよむ。

宮負定雄 みやおい-さだお

みやおい-やすお

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朝日日本歴史人物事典の解説

宮負定雄

没年:安政5.9.23(1858.10.29)
生年:寛政9.9.10(1797.10.29)
江戸後期の国学者。通称は初め門蔵,のち佐平。弓道人,亀齢道人と号す。下総国香取郡松沢村(千葉県干潟町)の名主宮負定賢の長男。父は平田篤胤の門人で,定雄も文政9(1826)年篤胤に入門した。名主を継いで村政に力を注ぐかたわら,『民家要術』『国益本論』『農業要集』『草木撰種録』などの著述によって農業のあり方から具体的な農業技術にわたって指導に努めた。しかし,天保4(1833)年の凶作によって村政に失敗,各地を放浪した。嘉永(1848~54)のころ村に帰ったが,以後の著述は平田学特有の観念論的色彩が強くなって,かつての実践的姿勢が姿を消してしまった。<参考文献>川名登「下総における一村方地主の農業経営」(『千葉経済短期大学商経論集』7号)

(白石良夫)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

みやおいやすお【宮負定雄】

1797‐1858(寛政9‐安政5)
江戸末期の国学者。通称は門蔵,佐平。下総香取郡の人。名主。宇井包教に従学,さらに父子2代にわたる平田篤胤門人となる。のち江戸に出て直接,篤胤の教えを受け,その著述の校正などに従事。敬神の念厚く,各地の神社を参拝して歩いた。また農事につとめる一方,著述に打ち込み,とくに農学をよくした。著書は《農業要集初篇》《民家要術》《野夫拾彙物語》《五穀野菜撰種録》《国益本論》《奇談雑史》など。【鈴木 淳】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

宮負定雄
みやおいさだお
(1797―1858)

幕末の国学者。通称佐平。下総(しもうさ)国香取(かとり)郡松沢村(千葉県旭(あさひ)市)に、佐五兵衛定賢(さだまさ)の子として生まれる。父定賢は名主を勤め、国学にも興味をもち、1819年(文政2)下総に来遊した平田篤胤(あつたね)に入門した。父の教えを受けた定雄は自身の農耕体験をもとに『農業要集』を著し、26年に平田篤胤に入門し、多くの門人を紹介するなど、平田派下総国学の中心となって活躍した。父についで名主を勤めたが早く辞め、『草木撰種録』『民家要術』『国益本論』など多くの著述をしながら、荒廃する東総農村の復興に心を砕き、晩年には幽冥(ゆうめい)界に興味をもつようになる。[川名 登]
『『日本農書全集3 農業要集・他』(1979・農山漁村文化協会)』

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世界大百科事典内の宮負定雄の言及

【水運】より

…水運はまた目に見えない文化をも運んだ。利根川流域への江戸人士の来遊,松尾芭蕉,小林一茶,高田与清,渡辺崋山,平田篤胤らの来遊は流域文化圏の形成を刺激し,その中から赤松宗旦,伊能忠敬,下総国学の宮負定雄(みやおいやすお)などの学者が生まれた。水運は明治期に入っても運河建設等があって盛んであったが,明治政府の河川治水政策の転換によって水運路に大きな打撃を受け,鉄道の発達によってさらに衰え,トラック輸送の発達によって完全に衰退した。…

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