日本大百科全書(ニッポニカ) 「平和教育」の意味・わかりやすい解説
平和教育
へいわきょういく
peace education 英語
Friedenserziehung ドイツ語
戦争、暴力を排して、平和を守り、また平和的な方法によって対立や紛争に対処していく考え方と力を育てることを目的とする教育。
[佐貫 浩]
国際的な平和教育の動き
第一次世界大戦と第二次世界大戦は、あわせて6000万人を超える死者を出した。その反省にたって、軍備の縮小と廃止、核兵器の廃絶、戦争を起こさない政治システムや経済の仕組み、文化をつくりだそうとする気運の高まりの一環として、平和教育が生み出されていった。ユネスコ(国連教育科学文化機関)は、1945年ユネスコ憲章の前文において「戦争は人の心のなかで始まるものであるから、人の心のなかに平和のとりでを築かなければならない」と述べ、その目的達成のために教育に大きな役割を課した。その後もユネスコは数回にわたって、平和教育に関する決議、勧告を出し、1994年には「平和・人権・民主主義のための教育宣言」を、また翌1995年には「平和・人権・民主主義教育に関する総合的行動綱領」を決議している。さらに国連は2000年を「平和の文化のための国際年」、2001年から2010年を「世界の子どもたちのための平和の文化と非暴力のための国際の10年」とした。また国連は1978年に第1回国連軍縮特別総会を開催し、軍縮教育disarmament educationを推進している。軍縮と平和の教育は、国際的な合意かつ緊急の責務として、その具体化が各国政府に強く要請されている。
[佐貫 浩]
日本における平和教育の歴史
第二次世界大戦前から戦中にあっても、侵略戦争に反対する平和・反戦の教育が展開されたが、治安維持法などによって徹底的な弾圧を受け、沈黙させられていった。1946年(昭和21)日本は「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、」「平和のうちに生存する権利を有することを確認」し、「全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」と宣言し、日本国憲法を定めた。また翌1947年には、「この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである」とする教育基本法を制定した。戦争反省から出発した戦後教育は、その根本において平和教育でなければならないとされたのである。
日本の平和教育の本格的な高まりの第1期は、1950年代である。冷戦構造の下での再度の世界大戦勃発(ぼっぱつ)の危機感のなかで、平和を願う世界の声が結び合わされ、1950年ストックホルム・アピールが採択された。日本教職員組合(日教組)は「教え子をふたたび戦場に送るな」のスローガンを掲げ(1951)、平和教育が広がった。長田新(おさだあらた)編の『原爆の子』(1951)が国内外に大きな反響をよび、広島、長崎の体験を伝える教育も力強く開始された。日本国憲法第9条に反して自衛隊が創設されたことに対し、再軍備反対、軍事基地反対の闘いも平和教育の機運を高めた。
第2期は、1960年代からの高度成長のなかで、子どもたちに戦争の悲惨さや反省の意識が継承されておらず、平和への願いが失われていくことへの危機感を一つのばねとして、ヒロシマ・ナガサキの体験を子どもたちに伝えようとした時期である。広島の被爆教師たちの強い決意によって、1972年に広島平和教育研究所が設立された。その広島の呼びかけにこたえる形で、1974年には全国組織として日本平和教育研究協議会が発足した。さらに日教組の教育研究全国集会(教研集会)での平和教育分科会が独立するなど、平和教育の体制がしだいに整えられていった。また広島平和教育研究所から教材試案『ひろしま』が発行される(1969~1986)など、平和教育教材の開発も進められた。この時期の平和教育は、同時に全国的かつ世界的なアメリカのベトナム侵略戦争反対の闘いと、ヨーロッパを中心とするアメリカの核兵器配備に反対する反核運動の高揚とに支えられていた。
第3期は、教科書検定で日本の侵略の事実が隠されているというアジア諸国からの強い抗議(1982)を一つの契機として、日本の加害の事実を発掘し、侵略戦争への反省を踏まえてアジア諸国との歴史的和解と将来の平和のための協力・協同をつくりだす方向が目ざされた、平和教育の高揚期である。旧日本陸軍の細菌戦部隊であった七三一部隊の歴史を暴いた森村誠一の『悪魔の飽食』や、本多勝一(かついち)(1932― )の『中国の旅』(ともに1981)なども、世論の変化を支えた。
日本の平和教育については、第二次世界大戦後の日本の政治構造と関連して、アジア諸国への加害と侵略行為についての事実の学習や国家としての戦争反省、賠償などに関する教育的取組みの弱さが指摘され、1980年代以降、この弱点をどう克服するかの努力が続けられている。
1990年代からの平和教育では、これらの成果を受け継ぎ、また冷戦構造の解体という新たな状況を踏まえつつ、次のような問題点をめぐって議論が展開されている。
(1)従軍慰安婦への謝罪と賠償の要求など、日本の本格的な戦争反省を求める声の高まりのなかで、この課題にどう取り組み、またその歴史をいかに日本人の記憶として継承していくのか
(2)「南京(ナンキン)虐殺はなかった」「日本の侵略行為を教える平和・歴史教育は行うべきではない」などの平和教育を否定する潮流の登場のなかで、侵略と加害の事実の認定、平和教育の方法への国民的合意をどう形成するか
(3)ヒロシマ・ナガサキに加え、世界各地の核実験による被曝(ひばく)者、さらにチェルノブイリの被害者を含む世界の被爆者・被曝者が協同し、21世紀の核兵器廃絶のためにその体験をいかにして世界化できるか
(4)子どもたちの暴力性、攻撃性が高まるなかで、いじめや暴力を克服し、平和的なコミュニケーションによって問題を解決する能力、また葛藤(かっとう)と紛争の平和的解決conflict resolutionの力、民主主義による問題解決能力、を獲得させる平和教育の重要性
(5)南北問題、民族問題や貧困問題などの暴力を生み出す社会構造をどう改善するかに力点を置き、環境問題を含めて諸国民、諸民族が相互理解し、ともに平和に協力しあえる社会的、国際的なシステムを探求しようとする積極的な平和を構想する教育の推進
(6)グローバル化する世界のなかで、頻発する民族紛争や地域戦争、人権抑圧などに対して、世界の国々がどのような援助や介入をするべきか、またそのなかでの国連の役割、軍備の縮小と廃絶、核兵器廃絶への道、さらには憲法第9条の意義や日本の役割などを考える、国際社会での平和のための参加を考える教育の推進
これらの課題について、さまざまな努力が試みられ議論が行われている。
[佐貫 浩]
平和教育の構造と方法
構造
平和教育の構造は、戦争・暴力や平和の問題を直接扱う直接的な平和教育と、平和をつくりだしていく人格的、社会的な条件を扱う間接的な平和教育とに分けることができる。前者は、戦争と平和の歴史、核兵器の投下や戦争の実態と原因の分析、平和をつくりだしていくための努力の歴史、戦争をなくしていくための知恵や思想などが学習の中心となる。後者は、第一に、戦争や暴力を生み出していく差別や抑圧の制度、文化や思想、システムなどを克服する筋道を考える教育と、第二に、命の尊さと人格の尊厳を認識し、暴力に反対し、表現(コミュニケーション)と民主主義を通して合意と協同をつくりだす要求と力を育てる教育に区分することができる。ノルウェーの平和研究家ヨハン・ガルトゥングの提起した構造的暴力の克服こそ平和および平和教育の中心的課題であるとする考え方は、この第一の領域への取組みをもっとも積極的な平和教育と位置づけている。間接的な平和教育の領域は、ほとんどすべての教科に及び、その意味で平和教育の観点は、あらゆる領域の教育活動のなかに貫かれる必要がある。また今日子どもたちの間で、暴力的な衝動や攻撃性が高まってきているのではないかという不安のなかで、次のような階層的な構造で平和教育を把握することもできる。いじめなどの暴力におびえるなかでは、平和な生活の実体験(検証)なくして社会や世界の平和への確信と構想を描くことはできないという状況が生まれているのである。そこで、以下のような平和教育の目標が考えられる。
(1)自分への誇りや人間としての尊厳の感覚と、人間として他者と共感しあう力を獲得させ、表現の力を高めコミュニケーションを豊かに展開し、相互に理解する能力を発達させること
(2)コミュニケーションを土台として民主主義を発動させ、子どもたちの生活のなか、クラスのなかに暴力を許さない自治的な平和の空間をつくること
(3)生活基盤のなかでの平和への確信を土台として、社会や国家のあり方において平和を実現するための思想や社会・経済システムなどを探究していく意識的、直接的な平和学習
[佐貫 浩]
方法
平和教育の方法をめぐっては、以下のような課題が強調されるようになってきている。
(1)戦争の被害体験とともに、加害と抵抗の体験、さらにはアジア諸国との友好と連帯の歴史も発掘、継承していくこと
(2)単に戦争の悲惨さや非人間性を伝えるだけではなく、人間への信頼、人間の尊厳、平和への願いなどについての深い確信をその土台に育てること
(3)子どもの発達段階に応じた配慮を必要とすること
(4)子どもの思想や価値観形成の自由を保障していくこと。とくにどのように平和をつくりだしていくかについては結論を押しつけるのでなく、子どもの価値観や思想形成の自由を尊重して、自分の意見、思想を育てること
(5)単に知識を記憶するような教育ではなく、自分の意見をもち、討論し、平和のための意見表明と平和教育への参加という視点をもった学習を展開していくこと
これに加えて、原爆やアジア・太平洋戦争の直接の体験者がいなくなる21世紀において、戦争体験者による直接的な伝承にかわる新たな創造的な記憶の継承の方法を開発することが求められている。
[佐貫 浩]
『広島平和教育研究所編『平和教育実践事典』(1981・旬報社)』▽『堀尾輝久・河内徳子著『平和・人権・環境 教育国際資料集』(1998・青木書店)』▽『竹内常一著『教育を変える――暴力を越えて平和の地平へ』(2000・桜井書店)』▽『日本平和教育研究協議会編『季刊平和教育』各号(明治図書、第18号より自費出版)』▽『日本の戦争責任資料センター編・刊『季刊戦争責任研究』』