富士田音蔵(読み)ふじたおとぞう

改訂新版 世界大百科事典 「富士田音蔵」の意味・わかりやすい解説

富士田音蔵 (ふじたおとぞう)

長唄唄方。現在まで6世を数えるが,2世が著名。(1)初世(?-1827(文政10)) 初世富士田吉次門弟。前名仁三郎。1770年(明和7)音蔵と改名。98年(寛政10)ころまで,森田座,中村座の立唄(たてうた)として活躍した。(2)2世(1798-1859・寛政10-安政6) 初世富士田千蔵の門弟。前名新蔵。1841(天保12)2世を襲名声量豊かで美声であったことから〈美音の音蔵〉と呼ばれ,岡安喜代八,3世芳村伊十郎とともに天保の三名人に数えられている。中村座,市村座の立唄として活躍。晩年滝村音蔵,あるいは多喜村音右衛門と改めた。(3)3世(1838-71・天保9-明治4) 2世の三男,前名吉太郎。1862年(文久2),3世を襲名。のちに滝村歌成と改名。(4)4世(?-1885(明治18)) 4世杵屋(きねや)弥三郎の次男で2世音蔵の門弟,前名音松。1873年,4世を襲名。(5)5世(1874-1928・明治7-昭和3) 6世富士田千蔵の子。前名吉四郎。1904年5世を襲名。市村座,明治座新富座などの立唄を勤めるとともに,3世杵屋栄蔵とともに長唄鶴命会(かくめいかい)を結成し長唄の発展に貢献する。(6)6世(1899-1972・明治32-昭和47) 6世富士田千蔵,5世富士田音蔵の門弟。前名新蔵。1949年6世を襲名。歌舞伎の菊五郎劇団の立唄として劇場長唄に尽力した。6世の実子新蔵が78年に病没したため,現在その名跡は絶えている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「富士田音蔵」の意味・わかりやすい解説

富士田音蔵
ふじたおとぞう

長唄(ながうた)唄方。6世を数えるが、2世と5世が著名。

[渡辺尚子]

初世

(?―1827)初世富士田吉次(きちじ)の門弟。前名富士田仁三郎。1770年(明和7)音蔵と改名。

[渡辺尚子]

2世

(1798―1859)初世富士田千蔵の門弟で、前名は富士田新蔵。1841年(天保12)2世を襲名。声量豊かで美声であったため「美音の音蔵」とよばれ、天保(てんぽう)の三名人の一人に数えられている。3世(1838―71)は2世の三男で、1862年(文久2)3世を襲名。また4世(?―1885)は4世杵屋(きねや)弥三郎の次男で、2世音蔵の門弟にあたり、1873年(明治6)に襲名した。

[渡辺尚子]

5世

(1874―1928)6世富士田千蔵の実子。3世松永和楓(わふう)、3世杵屋勝太郎に師事。前名富士田吉四郎。1904年(明治37)5世を襲名。3世杵屋栄蔵と長唄鶴命会(かくめいかい)を組織する。

[渡辺尚子]

6世

(1899―1972)6世千蔵、5世音蔵に師事。前名富士田新蔵。1949年(昭和24)6世を襲名。尾上(おのえ)菊五郎劇団の立唄(たてうた)として活躍した。この6世の実子、6世新蔵は有望な唄方であったが、78年に病没し、名跡は絶えている。

[渡辺尚子]

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世界大百科事典(旧版)内の富士田音蔵の言及

【吉住小三郎】より

…もと江戸の四谷で芋屋を営んでいたことから〈芋五郎の小三郎〉と呼ばれた。2世富士田音蔵,岡安喜代八(1792‐1870)(のちの3世岡安喜三郎)とともに天保の三名人といわれた。(3)3世(1832‐89∥天保3‐明治22) 2世の門弟で前名小太郎。…

※「富士田音蔵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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