加藤楸邨(しゅうそん)の第一句集。1939年(昭和14)3月、交蘭(こうらん)社刊。句数540句(40年2月の改訂増補版には「達谷(たっこく)抄」46句を増補)。書名は巻末3句の「寒雷やびりりびりりと真夜(まよ)の玻璃(はり)」などによる。初めに師水原秋桜子(しゅうおうし)の序がある。本文は「古利根(ふるとね)抄」(1931~34、145句)、「愛林抄」(1935~36、181句)、「都塵(とじん)抄」(1937~38、214句)。楸邨が埼玉県の粕壁(かすかべ)(現春日部市)で句を始めてから東京生活に移った時期で、初期の甘美で叙情的な句風が、しだいに内面に沈潜して深い苦悩をたたえ、人間探求派とよばれるようになる、その推移がよくうかがわれ、昭和10年代の俳句史に一時期を画した重要な句集の一つである。「行き行きて深雪(みゆき)の利根の船に逢ふ」(古利根抄)、「蟻(あり)殺すわれを三人の子に見られぬ」(都塵抄)。
[井上宗雄]
俳句雑誌。加藤楸邨(しゅうそん)主宰。1940年(昭和15)10月創刊。誌名は前年刊行の楸邨第一句集『寒雷』による。主張は「俳句の中に人間の生きることを第一に重んずる。生活の誠実を地盤としたところの俳句を求める」(創刊号、楸邨)。初め交蘭(こうらん)社から、のち寒雷発行所から刊。『馬酔木(あしび)』系俳誌とも目されたが、42年楸邨が『馬酔木』より退く形をとると名実ともに独立誌となる。戦局苛烈(かれつ)な45年1月で中絶、46年9月復刊。秋山牧車、青池秀二、森澄雄、平井照敏(しょうびん)、久保田月鈴子(げつれいし)が代々編集業務を行う。2000年6月現在、編集人は矢島房利。
[井上宗雄]
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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