寒雷(読み)カンライ

デジタル大辞泉 「寒雷」の意味・読み・例文・類語

かんらい【寒雷】[書名]

加藤楸邨句集。昭和14年(1939)刊。また、加藤主宰し、昭和15年(1940)から刊行を開始した俳誌の名。俳誌は平成30年(2018)終刊

かん‐らい【寒雷】

冬に鳴る雷。 冬》
[補説]書名別項。→寒雷

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精選版 日本国語大辞典 「寒雷」の意味・読み・例文・類語

かん‐らい【寒雷】

  1. 〘 名詞 〙 冬の雷。寒中に鳴る雷。《 季語・冬 》
    1. [初出の実例]「寒雷やびりりびりりと真夜の玻璃」(出典:寒雷(1939)〈加藤楸邨〉)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「寒雷」の意味・わかりやすい解説

寒雷(加藤楸邨の句集)
かんらい

加藤楸邨(しゅうそん)の第一句集。1939年(昭和14)3月、交蘭(こうらん)社刊。句数540句(40年2月の改訂増補版には「達谷(たっこく)抄」46句を増補)。書名は巻末3句の「寒雷やびりりびりりと真夜(まよ)の玻璃(はり)」などによる。初めに師水原秋桜子(しゅうおうし)の序がある。本文は「古利根(ふるとね)抄」(1931~34、145句)、「愛林抄」(1935~36、181句)、「都塵(とじん)抄」(1937~38、214句)。楸邨が埼玉県の粕壁(かすかべ)(現春日部市)で句を始めてから東京生活に移った時期で、初期の甘美で叙情的な句風が、しだいに内面に沈潜して深い苦悩をたたえ、人間探求派とよばれるようになる、その推移がよくうかがわれ、昭和10年代の俳句史に一時期を画した重要な句集の一つである。「行き行きて深雪(みゆき)の利根の船に逢ふ」(古利根抄)、「蟻(あり)殺すわれを三人の子に見られぬ」(都塵抄)。

井上宗雄


寒雷(俳句雑誌)
かんらい

俳句雑誌。加藤楸邨(しゅうそん)主宰。1940年(昭和15)10月創刊。誌名は前年刊行の楸邨第一句集『寒雷』による。主張は「俳句の中に人間の生きることを第一に重んずる。生活の誠実を地盤としたところの俳句を求める」(創刊号、楸邨)。初め交蘭(こうらん)社から、のち寒雷発行所から刊。『馬酔木(あしび)』系俳誌とも目されたが、42年楸邨が『馬酔木』より退く形をとると名実ともに独立誌となる。戦局苛烈(かれつ)な45年1月で中絶、46年9月復刊。秋山牧車、青池秀二、森澄雄平井照敏(しょうびん)、久保田月鈴子(げつれいし)が代々編集業務を行う。2000年6月現在、編集人は矢島房利。

[井上宗雄]

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改訂新版 世界大百科事典 「寒雷」の意味・わかりやすい解説

寒雷 (かんらい)

俳句雑誌。1940年(昭和15)10月創刊,現在に至る。〈俳句の中に人間の生きることを第一に重んずる。生活の誠実を地盤としたところの俳句を求める〉との意図を掲げる。〈人間探求派〉と呼ばれた主宰者,加藤楸邨(しゆうそん)(1905-93)は,〈真実感合〉の方法を提唱,生き生きとした実感を,対象と自己を一体にした発想において把握しようとした。楸邨のその志向のもとに,田川飛旅子(ひりよし),金子兜太(とうた),森澄雄らが輩出した。
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百科事典マイペディア 「寒雷」の意味・わかりやすい解説

寒雷【かんらい】

冬に鳴る雷。ほとんど寒冷前線によって起こる。日本海側に多く,雪の降る前に鳴る雷を〈雪起し〉と呼んだりする。上空に強い寒気が進入してくると積乱雲が発達しやすく,雷を伴わなくても,大雪のときの日本海側の雲は積乱雲であることが多い。

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