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寛助 かんじょ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

寛助
かんじょ

[生]天喜5(1057)
[没]天治2(1125)
平安時代真言宗の僧。源師資の子。遍照寺の経範について学び,19歳のとき阿闍梨となった。長治1 (1104) 年遍照寺別当となり,同2年東寺の長者に任じられた。保安1 (20) 年東大寺別当になり,同2年大僧正

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

寛助 かんじょ

1057-1125 平安時代後期の僧。
天喜(てんぎ)5年生まれ。源師賢(もろかた)の子。経範について出家。性信入道親王から灌頂(かんじょう)をうける。仁和寺(にんなじ)別当,東寺長者,広隆寺・東大寺別当を歴任。宮中で孔雀(くじゃく)経法などの修法をたびたびおこない,法関白とよばれた。弟子に覚鑁(かくばん),聖恵ら真言密教広沢六流の祖がいる。天治(てんじ)2年1月15日死去。69歳。字(あざな)は善巧。通称は成就院大僧正,弁大僧正。著作に「成就院別行七巻抄」「秘密宝蔵鈔」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

寛助

没年:天治2.1.15(1125.2.19)
生年:天喜5(1057)
平安後期の真言宗僧。蔵人頭右中弁源師賢の子。経範に師事し,性信法親王から伝法灌頂を受ける。孔雀経法などの修法に優れ,白河上皇の護持僧となり,「法関白」と呼ばれた。法務,大僧正に昇り,遍照寺,仁和寺,円教寺,法勝寺,広隆寺,東大寺の別当,東寺長者を兼ねた。永久1(1113)年に東寺恒例結縁灌頂小阿闍梨を僧綱に任ずることとしたほか,仁和寺伝法会の再興,高野山奥院の修理,東大寺の庄園司の補任など,各寺院の経営に手腕を振るった。仁和寺成就院に住み,成就院大僧正とも称された。<参考文献>櫛田良洪『覚鑁の研究』

(岡野浩二)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

かんじょ【寛助】

1057‐1125(天喜5‐天治2)
平安末期の真言宗の僧。成就院大僧正と号する。蔵人頭源師資の子,仁和寺に入って経範に瑜伽経(ゆがきよう)を学び,1080年(承暦4)大御室性信親王に伝法灌頂を受けた。仁和寺,遍照寺,円教寺,広隆寺,法勝寺,東大寺の別当,東寺一の長者を歴任,法務を兼ね,1121年(保安2)大僧正となる。修法にすぐれ,しばしば孔雀経法,大北斗法を修して効験あり,護持僧として白河上皇,堀河天皇鳥羽天皇のために祈った。その験は広く衆庶に知られ,人々は法関白と称賛した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

寛助
かんじょ
(1057―1125)

平安末期の真言宗の僧。仁和寺成就院(にんなじじょうじゅいん)の開祖。字(あざな)は善巧(ぜんぎょう)。成就院僧正、弁の大僧正とも称する。京都の人。俗姓は源氏。幼くして経範(きょうはん)のもとで出家、伝法灌頂(でんぽうかんじょう)を受ける。鳥羽殿(とばどの)において大北斗法(だいほくとほう)、孔雀経法(くじゃくきょうぼう)など真言密教の修法を修して霊験を顕(あらわ)して以来、両法を修すること二十数度に及ぶ。その学力、法力は比類なく、法の関白と尊称された。1112年(天永3)東寺(とうじ)第37代長者(ちょうじゃ)となる。また広隆寺、法勝寺(ほっしょうじ)、東大寺の別当を歴任。門下は覚法(かくほう)、信証(しんしょう)、永厳(ようげん)、聖恵(しょうえ)、寛遍(かんぺん)、覚鑁(かくばん)(以上はおのおの分派し広沢(ひろさわ)六流と称する)など33名に及び、広沢流(真言宗事相(じそう)の一派)の最盛期を築いた。[吉田宏晢]

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